演出ノート(東京公演パンフレットより)


シャイロックを救おう

 

 本日はお忙しいところ、『新ベニスの商人』にお越しいただきまして、ありがとうございます。また、皆様にここでお会いできましたこと大変うれしく思います。『新ベニスの商人』は「温泉三部作」のラストバッターです。そして、『新・ロミオとジュリエット』も『新リア王』も、私たちの故郷、宮城にある鳴子温泉をモデルにした舌奈(べろな)温泉によってつながっています。

 

 私たちのお芝居の脚本の核は、「脚本構想グループ」によって創られました。私は『マクベス』から、東京に住む作家の丸山修身と脚本を考えるようになり、『ハムレット』からは鹿又正義や菅原博英が加わって四人になりました。共同構想の発想の原点は黒澤明監督にあります。構想会議は毎回温泉旅館で行われますが、これが滅法楽しい、ほんとうに面白い。原作を読んできたメンバーが自由奔放に語り合うわけですが、いつも大真面目にバカバカしい話を延々とする・・・そしてそこから面白さの原液のようなものが醗酵されるのです。

 この度は、役者の笹氣健治が新人としてメンバーとなりました。そもそも彼は、既に10冊を越える本を出版している立派な物書きなのですが、脚本という新しいジャンルにも興味を持ちました。笹氣のやる気は彼をまさに『新ベニスの商人』の牽引者にしました。私は初めて共同執筆を試みましたが、一緒に脚本を書くというのは案外難しいもので、五人構想から紡ぎ出されたアイディアをベースに笹氣が小説風に書いて、それを私が脚本にするという方法をとりました。

 

 さて、私自身の作品への思いの種子は、一昨年の夏、私が三人娘と借りて暮らしていたコンウォールの森のお城で生まれました。ある日の午後、大きな暖炉のある30畳ほどあるリビングのソファで私はひとり " The Merchant of Venice " を(脚本を書く前にいつもそうするように)音読していました。すると、大きなガラス窓の向こうから私をのぞいて微笑む紳士がいるので窓を開けると、「ようこそ。主のニコラスです」と。彼と英国式庭園で紅茶をいただきながらいろいろな話をするうちに、この建物は銀行の頭取によって1836年に建てられたもので、その後狩りの好きなオーストリアの子爵の手に渡り、この後が問題なのですが、ヒットラーの腹心ヘスが英国軍によって抑留され尋問を受ける(歴史的には隠されている)場所にもなって、あのチャーチルも訪れているということがわかりました。

 その話を聞いて、私はこの屋敷を包んでいる独特な雰囲気の理由がわかったような気がしました。ヘスが固く口を閉ざして何も語らなかったらしいその部屋に戻って音読を続けているうちに私は眠ってしまいました。そして夢を見ました。左にヘスらしき人物(実は彼の顔を知らないけれど、ナチスの帽子と軍服をまとっていました)と右にオーストリアの子爵らしい人物(もちろん彼の顔も知らないけれど鳥打帽を被っていました)が座っていて、私はパジャマの上にガウンをまとって立ちながら声に出してシェイクスピアを読んでいるのです。

 

 Is now converted.  But now I was the lord 

 Of this fair mansion, master of my servants,

 

 目覚めると私は涎を垂らして本は床に落ちていました。「なんだ夢か・・」と思うやいなや、一体どこを読んでいたのか気になりました。というのはあまり馴染みのないセリフだったからです。大好きなセリフは暗記していますが、夢で見たセリフは覚えていなかったからです。暗記していないのに、夢で喋っているのだから気になります。わかりました。バッサーニオが鉛の箱を選んでいよいよ自分を娶ることが決まった直後のポーシャの言葉です。その極めて限定された数行を繰り返し声にしながら私は、ハッとしました。シェイクスピアはわざと完璧な美しいアイアンビックペンターミター(弱強五歩脚)を壊していると思ったからです。もしポーシャがすんなり " But now I was the lord of this fair mansion " と言ったのならば? 現れるのは自信満々で優等生のお嬢様です。なのに、今ここにいるのはしどろもどろに話す恋する一人の女性。日本語にこの微妙なニュアンスは移し替えられません。意味ではなくてリズムだからです。このお城で、私はポーシャの魅力にしびれました。今頃わかったのかと言われそうですが、初めてポーシャの深さに触れてドキドキしました。

 

 その後、ロンドンで10年ぶりに再会した友人のインド人演出家ジャティンダ・ヴァーマと語りあいました。彼の情熱は強烈な感染力を持っていて、私は会う度に間違いなくその情熱にくるまれた思想に感染します。「カズミ、僕はね、父の娘に対する思いの物語だって思うんだ。登場しない父のポーシャへの、シャイロックのジェシカへの!」

 

 帰国しても、彼の言葉がまだ心に響いていた頃、作家志望の当時11歳の娘羽永に勧められたまたま『ウォルト・ディズニーの約束』を見て心を動かされました。そこに描かれていたのは『メリーポピンズ』の原作者トラヴァー夫人と父の関係でした。この作品は実は、家族のために肌に合わない銀行員を続けアル中になって死んだ父へのオマージュだったのです。このディズニー映画の原題はまさに" Saving Mr. Banks " !

この時、私の『新ベニスの商人』の密かなタイトルは " Saving Shylock " となって、東北シェイクスピアの構想に確信を持ったのです。

 

シェイクスピア・カンパニー主宰 下館和巳


キャスト


役名(ふりがな) ※役柄       原作名     役者名   

高田屋 杏人(たかだや あんと)

※紅洲の廻船問屋

アントーニオ 香田 志麻

紙屋 馬左男(かみや まさお)

※元紙屋の長男

バサーニオー 佐々木 遥香

門太 練三(もんた れんぞう)

※名湯舌奈旅館の御曹司

ロレンゾー 田端 勇士

東洲斎 沙鹿(とうしゅうさい さろく) 

※金貸し・近江商人     

シャイロック        ササキけんじ 

東洲斎 しか(とうしゅうさい しか)

※沙鹿の娘

ジェシカ 鈴木 るな

稲村 志保(いなむら しほ)

※伊達吉村公筆頭家老稲村家の姫君

ポーシャ 石井 李奈

桂 ねり(かつら ねり)

※志保の侍女

ネリッサ

及川 寛江

甚八(じんぱち)

※紅洲の小商人

―――― 及川 寛江

水戸光圀公

※水戸徳川家の家督、志保の求婚者

モロッコ王 香田 志麻

寿司屋の親父

※沙鹿が通う寿司屋の親父、長州出身

テュバル 加藤 捺紀

大黒屋 門左衛門(だいこくや もんざえもん)

※石巻俵町の材木問屋当主、志保の求婚者

アラゴン王 両國 浩一

組合頭

※紅洲の商人組合のお頭

ヴェニス公 加藤 捺紀

若衆

※紅洲の若い商人たち

――――

田端 勇士

加藤 捺紀

鈴木 るな

     

                  スタッフ


脚本・演出 下館 和巳
脚本構想 下館 和巳 丸山 修身 鹿又 正義 菅原 博英 笹氣 健治 
制作 笹氣 健治 倉田 健太郎 加藤 捺紀 田端 勇士 利部 尚宏
舞台監督 渡邉 欣嗣 小嶋祐美子
音楽・音響 橋元 成朋
照明(仙台公演) 松崎 太郎
ポスターデザイン 庄子 陽
記録 千葉 安男 千葉 妙子
プレスマネージャー 浅見 典彦
ダイレクティングアドバイザー      両國 浩一
   
スーパーバイザー 大平 常元