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イギリス日記#21~25 (2014.8.12~8.15)
そうらと歩いていると、大人がひとりでスタスタ歩くロンドンと違うロンドンが見える。まず、すれ違う見知らぬ人の表情がやさしい。父とちっちゃな娘が仲良く一緒にいる姿が微笑ましく思われるのか、微笑みの道を歩いているような気持ちになる。地下鉄では、僕たちが入るとすかさず誰かが立って席を譲る。席が離れていると、そうらと私のために知らぬ者どうしが一瞬のうちに連携して父娘が並んで座れるようにしてくれる。この紳士淑女ぶりには頭が下がる。百年以上前にロンドンにいた夏目漱石の日記を思い出す。漱石は確か初めて地下鉄なるものに乗って席をゆずられ驚いて失望した。なぜか? 席を譲ってくれた男がいかにも紳士という風貌ではなく、明らかに労働者階級とおぼしき風采のあがらない男だったからだ。日本の場合ならば、自分に席を譲った男の身分であれば、はるかに野卑で粗雑で不親切なのに…ということだ。英国の紳士道の深さを感じてのショックだったろう。英国がはるか前に見えたのかも。マナーが人を人間にする、という諺が英語にあるが、野獣と変わらぬ人という話す動物をまともにディースントにするのは、学歴でも職業でもお金でも姿形でもなくて行儀作法なのだ。どんな美女でも美男でもマナーがなければダメ。そうらと見たパントマイムは、ティに来た虎、というお話だけれども、ママと子供が突然家にやってきた大きな野獣タイガーを恐る恐るしかしだんだん喜んで受け入れるようになって別れ際には名残惜しくなるのは、タイガーが誠に行儀正しくやさしく魅力的だからであった。内面を示すものとしてのマナーと外見の激しい衝突を見せられる。皮肉だね。このお話はイギリス人の子供たちにはよく知られているけれど道徳教育だね。ちっちゃな子供の頃から劇がそばにある。これはかなわないさね。イギリスは世界の演劇の先生にだからなっちゃうのね。勉強してるからじゃなくて、血と肉になってるからださね。1992年10月イギリスに二度目の留学にやってきた僕は備忘録にこう記している。「朝起きるとすぐ僕は海辺に走る。そしてそこで日が暮れるまで遊んでいる。母に早く帰って来なさいと呼ばれることもない。好きなだけいてそこで眠ってしまうことさえある海辺。大好きなシェイクスピアの海辺」今またその海辺に立って、僕は子供に返る。(2014.8.12)
一体、入寮組はどうしているんだろう?はなもうみもおそらくかなちゃんも、泳げないのに、プールでも七ヶ浜でもなく、大西洋の海にいきなり放り込まれたような不安を、いやそれ以上の思いをもって、日々過ごしているに違いない。電話もメールも容易にできない環境にあるために、心配は尽きないのだけれど、イギリスの施設を信頼して任せることが大事だろうと思う。寮に入って間もなく、はなから電話して!というメールが入ったので、何回かの不通の末にようやく話ができた。元気なはなもさすがに心細気だった。イエスしか言えないし…帰りたい。パパいつ来るの?と。寮母のフォーンさんに電話をして、はながちょっとホームシック気味なのでよろしく、と伝える。翌日、珍しくはなからの電話がつながって、弾むような声が聞こえてきた。昨日ね夜眠れなかたのね、そしたらフォーンさんが来てくれて、はなと一緒にジャスティンビーバーを歌ってくれたの。とってもやさしいの。それから、ダンスパーティーがあって楽しかった、と。うみは?フランス人ならぬロシア人と中国人と相部屋らしいのだが、みんなすごくしゃべれて困るの。でも、中国人のこがやさしくて助かる、と。それから、先生にうみの発音がとってもいいって二回もほもられたよ、と。課外活動とかスポーツでも頑張るから、と。淋しい、辛い、困る、悲しくなる…でもそういう気持ちになって、そこからなんとか抜け出したいと思う思いが力になって生き延びようとするものだ。いっぱい淋しくなたらいい、いっぱい困ったらいい、この二週間は人生の凝縮みたいなもの。でも、なにがあっても大丈夫だよ、と僕は思っている。(2014.8.13)
英国ナ二ー協会からそうらの家庭教師が派遣されてきた。ヘレナ。コンゴ生まれロンドン育ちで、偶然だと思うが演劇学校出身の映画女優志願のスレンダーで静かな27才。そうらは3歳の時にケンブリッジの保育園にいたけれど、もちろん英語は話せない。ロンドンに暮らして、最近になってパブでひとりで買わせることを試みた。そうらは食いしん坊だから、大好きな食べ物のためなら頑張るはずだと思うからだ。習うより慣れろ。なんと言っても実践。そうらの手のひらに2ポンドコインを握らせて、チップス、プリーズを十回繰り返えさせてから送り出す。買えなければ食べられない。ニコニコして戻ってきた。どうだったの?と聞くと、オーケー!と。大丈夫かな?でも結果はすぐにわかる。チップス見事に登場。パパ拍手そうら万歳。自分で釣った魚はうまい。のどかわいた。頼んできてごらん。スティルウォーター(炭酸じゃない)プリーズ。また10回繰り返させる。そうら今度は自信たっぷりに走る。成功。成功は自信になる。こうして言葉が少しずつそうらの中に育まれていく。はなと電話で話す。パパだんだん楽しくなってきたよ。うみからメールがくる。(日本の)家で英語で話すのもいいかも。ん、ふたりそれぞれ学んでるね。どんなものを手に握りしめて帰ってくるんだろう。そうらは、ヘレナに会って照れている。ヘレナは、どんなことをしたらいいかしら?と聞く。お散歩、DVD、でも一緒にお話ししてくださいボディランゲージで、と。ヘレナ、オーケー、得意です私と、白い歯を見せて微笑む。ヘレナにそうらを預けて、アフタヌーンロンドンにふらりと出かける。目的はない(笑)。バスに乗るハロッズの前で降りる、ロンドンでも最古の部類のパブを探す。ないなぁ。裏の裏の路地に迷い込む。ロンドンの歴史の匂いがする。あった、デュークオブウェリントンの部下の亡霊がでると有名なパブが。渋いねえ~めまいがするくらい。ビールを飲みながら、ふと今朝そうらが「じいちゃまいるよ」と言っていたことを思い出す。そうらには見えないものが見えれる。そりゃそうだ、11年ぶりに父の霊にあったんだもの、僕のそばにいないはずがない。お父さん乾杯ね、と心の中で。人は死んで遠くに行くはずがない。暮らしていたところにいる、見えなくなっただけ。天国も地獄もそばにあるに違いない。バスに乗る。リージェントストリートのカフェロイヤルの前で降りる。初めてイギリスに来た時に初めて入ったパブ以外のバーというかカフェで、忘れがたい。オスカーワイルドの小説「ドリアングレイの肖像」の中で、ワイルドそのものであろうところの貴族ヘンリーウォットンが美男のドリアンに言うんだ、さあカフェロイヤルに行こう。その一言で(笑)行ってみたいと思い、現実にそこに身を置くと小説の中にいるような気持ちになったものだ。高い天井、重厚な椅子とテーブル、豪華なシャンデリア、ペルシャ絨毯、薄暗さ。かつて、ここに通った文人たちの写真がならぶーワイルドショーイエーツノエルカワードチャーチルヴァージニアウルフヴィヴィアンリー…そこでワインを飲んでいる、それだけでワイルドと話をしているような気持ちになった二十歳の時の恍惚を思い出す。僕は空間が人間を形成すると書いたけれども表現する言葉を知らないけれど、空間や場の力はとてつもなく大きい。誤解されるかもしれないことをおそれずに言えば、初めてイギリスに来てエクセターのレイゼンビーに足を踏み入れた時、その建物の匂いと瀟洒なつくりの家にめまいを覚えた。今異国のこの家にいることの、若者特有の優越感とでもいおうか、自分の才能でも実力でもないのだけれども、こんなところに住むことができるんだという誇りだろうか、美しさの中にいるという至福の感覚だろうか、ともかくあの建物の品格と美は種のようなものを、僕の心に植えた。カフェロイヤルの匂いは、ヴィクトリア時代のものでシャーロック・ホームズにもつながっていくからね。ロンドンステキ!(2014.8.13)
ロンドンに住む便利さは、夜までゆったり芝居が見れることだとあたり前のことだけれども思う。昨日などは、調子にのって午前午後夜と3本も見た。そうらは二つ目こそ居眠りをしていたけれど、最初はパントマイムで最後は作り物だけれども見事に精巧な馬が登場したので釘付けになっていた。そうらが案外芝居を飽きずに見れるー総計6時間ですからねーというのも、発見。そして面白い時は、パパおもしろかったね~とコメントをつけるからオモシロイ。イギリスに着いて芝居を見始めてから、一回に一度は胸を突かれるようなシーンや一瞬があって気がつけば目に涙がにじんでいる。昨日は朝昼晩と三度も泣いていたことになる(笑)。なぜだろう?きっと物語というよりも役者のひたむきさに感動しているのじゃないだろうか。人生で一番芝居を見たのは1992年からの一年間じゃないかな。それは、ICUの恩師でシェイクスピア学者のマッシューズ教授からの助言のお陰である。度々ロンドンに行って芝居を見なさい。ケンブリッジに留まっていてはいけません。私は先生に、芝居を見た後に感想を送らせてくださいとお願いして、事実上文通が始まった。先生のコメントは細やかで目からウロコが落ちることしばしばだった。昔の学生だけれどもこうして今もつながっていることを、そしていまだに教えを受けていることをしみじみと有り難く思った。芝居はひとりで見た。見たい芝居が気兼ねなく見れるからだ。あの頃は37歳、量が質につながると信じていて、カンパニー黎明期でもあったから闇雲に見た。マチネ、遅い午後(場末の小さな劇場で中途半端な時間によくやっていた)、夜。1日2、3本が基本で、一週間に二回から三回ケンブリッジから列車で一時間かけてロンドンまでおよそ丸々一年間通ったわけだから最低二百本は見ていた計算になる。自慢気に聞こえるかもしれないが、好きなものが限定されていて劇団を創るという目標がはっきりしていれば誰もがそうなるのじゃないだろうか。キザに聞こえるかもしれないが日本ではほとんど芝居は見ない。イギリスでまとめて見てるからいいや、とどこかで思っているのかもしれない。淀川長治が一流の映画ばかり見ていちゃいけませんね、二流も三流もみんな見なけりゃね。とどこかで言っていたことが頭の片隅にあるからなのかもしれないけれど、劇評とは無関係に見た。もちろんシェイクスピアだけじゃない、トークショーミュージカルコメディ学生演劇そうストリップショー(笑)さえも。バカの一つ覚えで好きだからとは言っても、ひとりは寂しかった。でもひとりで来ている観客も少なくなくて、幕間に話をする。ひとりだからできる。大概はおばあちゃんかおじいちゃんかおばさんなのだけれど、専門家じゃないふつうのイギリス人がどう思って今自分が見ている芝居を見たのかを聞ける面白さがあった。あの一年でだから僕はどんなに芝居を学んだかしれない。だから英国の劇場は僕の先生なのだ。(2014.8.14)
イギリス日記に改行がないのはなにか意味があるのですか?という問い合わせがあった。ある。ふつうは改行しているが、書き始めてなんだか料理に使うキューブ型のブイヨンを思っていたからだ。要するに決して長くはない滞在の間に思ったさまざまなことを小分けにして小さな箱に詰めているような感じだ。だから隙間がない。イギリスに来てそこでシェイクスピアさんが生まれて死んだだろうと思われているイギリス中部のストラトフォードという街を訪れないで日本に帰ったことはない。だろうと思われると、まどろっこし書き方をしたのは、ハムレットやリア王を書いたシェイクスピアという劇作家が現実にいたストラトフォードのシェイクスピアという学校にもろくに行っていない皮屋の息子だという確実な証拠がいまだもってないからだ。シェイクスピアは直筆の原稿を一つも残しておらず挙げ句の果てに当時のイギリス人にとっては我々日本人の英語のような存在だったラテン語はだめギリシャ語などもっとだめなどと言われているものだから、実は字さえ書けない才能もないただの田舎の野郎っこで、あの偉大な作品を書いた人は他にいるのじゃないか?と言われ続けている。そこのところを下館さんはどう思ってるんですか?と時折聞かれるのでこの場を借りて言わせていただくと、シェイクスピアはストラトフォードのシェイクスピアに間違いない。そのわけの一つは、彼の描く自然にある。僕はそこに長く暮らしたことはないが、ウォッリックの田舎から生まれたイメージがたくさんあるし、その地域でしか使われていない言葉が方言があるからだ。なにより、これまでディケンズを始め数えきれない文人たちがストラトフォードを偉大な作家の生誕の地と信じてそこを訪れてインスピレーションを与えられてきたのだからね、いいんですよ、ストラトフォードのシェイクスピアなんです、シェイクスピアは。お盆ということもあって、ロンドンから列車に2時間以上揺られて行った、懐かしいストラトフォードへ。そしてお墓参りをした。これまでの舞台への御礼とヴェニスの商人を支えてくださいというお願いをして手を合わせた。ロイアルシェイクスピアカンパニー。私たちがまさにそこから名前をいただいた世界の劇団に久しぶりに行く。突然の訪問。もちろん不在だったが、カンパニー・ワークショップの生みの親で、私にシェイクスピアのセリフの話し方を教えてくれた英国演劇界の声の母と言われる大御所シシリーベリーを訪ねた。ステージドアの女性は私がシシリーの日本の弟子、これはほんと、と名乗ると早速自宅に電話をしてくれたが不在。私は声のメッセージを残して、すぐ近くの知る人ぞ知るダーティーダックというパブへ。なぜパブか?ここは役者たちが芝居を終えるや否や集まるところで、そのことをシシリーに聞いて、よく待ち伏せしていたからだ。誰を?今見たばかりの舞台の役者たち全員をだ。芝居がロミオとジュリエットだったならば、主役のふたりは言うまでもなく、乳母やマキューシオにいろんな質問を浴びせながら飲んだところだからだ。役者たちとじかに会って話ができるのはイギリス広しといえどもストラトフォードのこのパブしかないのだ。パブでビールを飲みながら思い出していた、この役者たちからなにかを盗みたい(笑)と思っていた野心満々の37歳の自分の姿を。(2014.8.15)