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イギリス日記#0~5 (2014.7.22~7.27)
2003年9月に一年間の英国留学から帰国してから、ほぼ11年ぶりのイギリス。あの時は和巳47歳宇未5歳創楽3歳羽永無。家族全員の英国は初めてということで否が応でもアドレナリンがでる。仙台駅を新幹線が出る直前、どうやって知ったのか?オジーノカリーヤの中村さんが旗を振って登場。旗には下館家イギリス行き万歳!と記されている。粋とはこのことをいう。三人娘思わぬことに感激、私は心遣にしみじみ感じ入る。今、ことばか浮かんだ。夏の路は、今、開かれたー。(2014.7.22)
飛ぶ。今は日本と英国のビトイーン。つまりどこでもないところ。ちなみに日本からのすべての飛行機はウクライナの空の上を避けるそうです。飛行時間は12時間。ロンドンに着くや否やレンタカーを運転。右側ドライブだけれどもロンドン人はスピードを出すから気をつけないと。不思議な感覚。イギリス行きの飛行機に乗るたびに、二十歳の初めてイギリスに旅した自分と今の自分が重なる。つまり、若返る(笑)。やせて髪の毛が増えてシワが消えて脳のシワも少なくなってツルンとなる。幼くなってかなり頭も悪くなる(笑)でも軽くなっていい気持ちだ。(2014.7.23)
ヒースロー空港でレンタカーを借りるべくシャトルバスを待つ。真夏の暑さ。四分で来ると言われたが、もう30分は経っている。日本ならば有り得ない。お客さんが怒り出す、がイギリスは違う。一緒に待っていたおばあちゃんが私の顔を見て、ずいぶんなが~い四分だことね、とニッコリ。アイロニーとユーモアがある。せかせかしないで気長にやろうと思わずに日本流にやろうと思うとイギリスには住めない。郷にいれば郷に従えである。恐る恐る車を運転。ナビにしたがって私に指示するうみが滅法頼もしい。この度のうみとそうらの仕事は、思い出すこと、かつて英国に暮らしていたその感覚を。一方はなは、圧倒されることだろうと、思う。まるで童話の世界にまよいこんだように、魅力的な家が並ぶ。ほんとうに美しいったらありゃしない。煙突のある風景がいいんだ。(2014.7.24)
2002年8月波乱が予想されたグローブ座で、逃げ出したくなる気持ちに駆られた自分をグローブ座という船に縛り付けるようなつもりで、1ヶ月前に亡くなった父の遺骨の一部をテムズ川とグローブ座の間の木の下に埋めた。その時そばにいたのは、わざわざロンドンまで私のお芝居を見にきてくれた観客のひとりでもあった廣瀬純氏。
昨日12年ぶりに父と再会。38年前そこで父と飲んだパブアンカーのビールを木の根に注いで心落ち着く。その夜、やはりあの芝居を見てくれたインド人演出家ジャティンダの家に招かれて晩餐会。新作ヴェニスの商人について議論。ジャティンダは素晴らしい。いつも新しくいつもエネルギーに溢れている。彼と語り合いながら、私の中に種が産まれたことを感じていた!娘たちももちろん一緒。インドの匂いに溢れたアーティスティックな美しい家で、とりわけはなには、なにもかもが初めてで夢でも見ているかのような顔をしていたのが心に残ったが、私たちが夢中になってヴェニスの舞台の話をしていて気がつけば、時差ぼけで眠くて仕方がなかったのか三人娘は大きなソファの上でスヤスヤ。ジャティンがそれを見て、和巳見てごらん、ハウ、スウィート!と気鋭の演出家は優しい笑顔になった。(2014.7.25)
夏休みが始まったイギリスのそれも金曜日にロンドンから南に移動したために4時間で着くエクセターに8時間ドライブ。日本ならばぐったりなはずだけれど、優れもののナビが大渋滞のメイン道路をはずして田舎道に連れて行ってくれたために、目に入ったのは、延々と広がる緑羊の群れ牛や馬お菓子のような家々クラシックカーイケメンの少年スタイルのいい美女…で、車の中はおしゃべりと笑いの渦巻。そういえば、この娘たちの母は明るかったっけな。さわやかでカラッとしていてどこにいても楽しかった。サマータイムでいつまでも明るいイギリス。ヘトヘトになってたどり着いたのは、ケンブリッジの友人で今はエクセター大学演劇学教授ガブリエッラとひとり娘フランチェスカの住む自宅。娘たちはお腹ペコペコでピッツァパスタチーズデザートの歓迎にに大喜び。そして何より家の窓の暖炉のテーブルの家具の飾られている絵のひとつひとつに、パパーッ!とため息。美しいものにたくさんたくさん圧倒されていくーそうして魂が磨かれるんだ、と目をキラキラさせてうれしそうな三人娘を見て、頼もしくなるのです。(2014.7.26)
昨日から家族で冒険生活が始まった。場所はコンウォール。ヒッチコック映画レベッカの舞台になったお屋敷マンダレーのそばにあるお城での生活だ。森の中にひっそりと建っている姿は神秘そのもので、老婆に案内されたお部屋のひとつひとつが美しい。娘たちの部屋争奪戦が始まってしばし険悪な雰囲気になるが、後からやってくる友達のことを優先的に考えようと言い出した長女の提言で事態は沈静化。老婆によるとこのカッスルという名前の屋敷は1840年に建てられたもの。となると174歳!さて、森のおそろしく細い道を四輪駆動の車で抜けて近くの見知らぬ街に買い出しに出かけた。イギリスのスーパー初体験の娘たちはまた興奮。カートは見慣れない商品の山。誰がつくるのかな?…パパです (笑)。さあ帰ろう!ところが車のエンジンがかからない。レンタカー事務所にSOS。イギリス人には珍しくすぐ来てくれたのはよいけれど原因不明でしばらく待っているようにと。結局家族は車の中に閉じ込められることになった。最初は賑やかだったが3時間が過ぎ日が暮れて寒くなってくると静かになって車内は不安に包まれ始めた。はなが日本に帰りたいと言い出しそうらは泣きそうになる。うみはここで動かなくなったのはむしろラッキーと考えようと前向きな発言、だってスーツケースいっぱい積んでどこかわからないところで渋滞している昨日こうなったらそれこそ大変だよ、ここは駐車場だしいざという時は食べ物もあるから大丈夫と。しかし10分で迎えに来てくれると言ったレッカー車は2時間たっても現れず。私も思わず地震の夜の避難所を思い出す。しかしイギリス人の時間へのルースさにさすがのうみも日本はすごいねパパと。問題発覚から5時間。漸くレッカー車到着。救われた!しかし不安がふたつ。カッスルの場所とあの細い道…みんなで闇の中を照らす車の灯りに集中する。パパもう過ぎちゃったかも、とうみ。ショーン・コネリーぽつりと車がたどりつけない時は…まあその時はその時だね。娘たちの不安がピークに達する。あった!きっとこの道、とはな。次の不安はもっと大きい。道幅。コネリーさん無言で進む、まさに髪の毛一本紙一枚の差だ。手に汗握るとはこのことだ。お城の灯りが見えた。するとコネリーさん、もう大丈夫ですよ、ちっちゃなご婦人たちとウインク。娘たちの拍手と歓声といつの間に自然に言えるようになったのかサンキューベリーマッチ!の言葉に、コネリーさん仕事を終えたジェームス・ボンドみたいな顔でニッコリ。はな曰わく、イギリスってかっこいいね。よかった、イギリス名誉挽回。(2014.7.27)