光よ、輝け、闇のなかで

下 館 和 巳

 

 ある週末の午後のことです、「パパ、今日はお出かけしない?」と長女の宇未が言いました。お天気も良かったので、テンテコマイデ、三人娘におしゃれをさせて、私も一応ちゃんとして、ひょっとして、うまくいったらビールの一杯も飲めるかもしれないと、小さな期待を抱きながら、車を運転することはやめにして、二人乗りの縦に長いべビーカーを押しつつ、珍しくウキウキ、街に向かいました。

 ほんとうに久しぶりの外食でしたので、何を食べるか小一時間も迷っていましたが、ついにイタリアンということとなって、チーズの匂いが漂う小粋なお店に入りました。私と二歳の羽永(はな)が長椅子に、宇未(うみ)と創楽(そうら)が椅子に座って、パパにラザーニャ、宇未にカルボナーラ、食いしん坊の創楽にお子様ランチ、まだ赤ちゃんの羽永にはリゾットと、長女と相談してのかなり満足度の高いオーダーを完了。

 私の隣の羽永は、すぐ後ろの若い女性に関心があってか、しきりに愛嬌を振りまいて、「かわいッー」とほめられっぱなしでした。そして、その可愛い赤ちゃんのおじいちゃんにしか見えないであろうところの私も、マンザラデハナイ親ばかの顔をしておりました。ここまでは順調。いよいよ、お料理が到着して、さあ、パパはビールかな?と思った瞬間、三女が二女のお子様ランチを見て自分のものにしようとし、二女はそれを渡すまいとし、という激しい攻防戦が始まりました。

 結局、いつもなら大好きなはずのリゾットを食べなければならなくなった三女は、その鬱憤を先ほどの若い女性に向けたのです。つまり、手づかみでリゾットをいじっていたその手で、女性の美しくセットされた髪を実に丁寧に繰り返しなでたのです。私が気がついた時にはもう、芳しい髪はリゾット風味のヘアーに染まり、その女性はお世辞にも大丈夫ですよ、などとは言えず、困惑の声を上げ、お店のマネージャーも登場したりで、大騒ぎというほどではないにしろ、ひどく気まずい雰囲気になりました。

 ひと段落ついて、娘たちがまた食べ始めた時、宇未が私にこうたずねました。「パパ、今日は楽しい?」私は、「たーのしーさー、もちろん」と答えはしましたが、見るからに不機嫌な顔をしながらでした。すると、宇未がこう言いました。「もう少しすると、はなもパパのお手伝いできるようになるし、そうらだってお話できるようになるし、うみだってこんなに背が高くなるかもよ」

 宇未のことばを思い出して、あんなこといってくれるようになったんだなー、と心強く思いながら、今日は無理をしても出かけてよかったと、思えたのは、逃げるようにレストランを去って、雪崩のように家に帰って、お風呂に入れて、三人娘を寝かせた後でした。

           *

 シェイクスピア・カンパニーには、稽古の後に決まってそこに行く、いとしい焼き鳥屋さんがあります。文化横丁のきむらという小さなお店です。煙で店内が燻製色に染まっていて、雰囲気は限りなく西岸良平の『三丁目の夕日』の世界です。丁寧に焼かれた一串一串がおいしいこと、おかみさんが原節子に似ていること、三畳ほどの二階の和室がまるで下宿のように思われることなど、魅力は尽きません。しかし、なんといっても最大の磁力は、そこで私たちが過ごしてきた時間の長さと濃さです。ロミオとジュリエット、夏の夜の夢、空騒ぎ、十二夜、マクベス、お気に召すまま・・・どんなにたくさんのアイディアがここで生まれたことか。みんなで酒を酌み交わしながらどんなに心をときめかせて、新しい舞台のことや劇場建設のことをここで夢見たことか。

 晴子が病に倒れて、この世からあの世に移転してから、私はパッタときむらに行かなくなりました。私の生活は、「たそがれ清兵衛」よろしく、大学から帰宅すれば子供と一緒ということが殆どになったからです。去年の春のころですが、ハムレット役の岩住やオフィーリア役の星は、演出不在の中で劇団を牽引していかなければなりませんでした。ですから、普段ならば、あのきむらで皆と解決していた問題が山積していました。その行き場のないエネルギーに少しでも出口をという思いから、子供たちを寝かせた後に自宅の丸いテーブルを囲んで夜中まで議論する機会を設けました。「ハムレットはオフィーリアを本当に愛していたんですか?」「この独白は一体誰に向かってのものなんですか?」「ノーブルであるとはどういうことですか?」矢継ぎ早に疑問を吐き出す岩住と星。『ハムレット』に賭ける役者たちのなみなみならない熱い思いに、私は、どんなにか勇気を与えられたことか・・・・・。

            *

 私は帰宅すると子供たちを迎えて、一人一人をいっぱい抱きしめます。それから、ベビーシッターさんに彼女たちをお任せして、書斎に入ります。ところが、三人とも心細いらしく、実に頻繁に鍵のかからない書斎を訪れてくれて、私はさっぱり仕事がはかどりません。ある日、一人一人に「パパがこのお部屋にいる時は、大事なお仕事をしているのだから入らないように」と言って聞かせました。長女も二女もそれきり仕事のジャマをしなくなりました。

 あるとき、三女の羽永が、まあるいお顔を扉の陰から覗かせてこちらをジッと見ているのです。「はなちゃん、どうしたの?」というと、おずおずと私に近づいてきて、ちっちゃな掌に握った消しゴムを見せてくれました。私がリビングに置き忘れた消しゴムでした。「はなちゃんありがとう。えらいなー。はなちゃん、えらい」とほめてあげると、ほんとに嬉しそうでした。しかし、それから毎日のように、羽永の訪問が始まりました。輪ゴム、えんぴつ、めがね、ケイタイ、新聞・・・を持って。

 その姿がなんとも、もぞこくて(仙台弁で、かわいそう?)私は、書斎にいること自体に罪意識を感じるようになりました。それから、ママの写真の飾ってあるリビングに大きなテーブルを置いてそこで仕事をするようになりました。気分は?まるで、山手線のプラットホームにあるキオスクの売店で仕事をしている感じです。最近は、パパの姿がいつも視界の中にあるので、うみもそうらもはなも、安心して遊んでいるのがよくわかります。
            *

 ロンドンのグローブ座にいた時に、演出家のジャイルズ・ブロックといろんな話をしましたが、寡黙なジャイルズもハムレットのことになると一転饒舌になって、イギリス人役者のハムレットに対するこだわりのようなものを滔々と語ってくれたものです。ジャイルズは、マイケル・ヨークとオックスフォード大学の同窓で、先輩にリチャード・バートンがいたらしいんですが、バートンのハムレットがなんと言っても素晴らしかったと唸りつつ、デレック・ジャコビは、そのバートンのハムレットをオールド・ヴィックで見て、役者になる決意をしたし、ケネス・ブラナーはそのジャコビを見て、シェイクスピアに目覚めたんだと。あのオリヴィエはヘンリー・アーヴィングを強烈に意識していたらしいのですが、どうやら、イギリスのハムレットの伝統は、スタイルというよりは情熱の継承のように思われます。

 お前のハムレットに影響を与えたのは誰か?と問われれば、リュビーモフかな、と思います。なぜか?それは、彼の考え方がとても宗教的だからです。魂の不滅ということを信じている、そういう姿勢が舞台に貫かれているからです。役者としては、ジャイルズの影響で、バートンでしょうか。静かで力強い。なんと言ってもバートンの声はセクシーです。
           *

 去年の10月1日で、私は五十歳となりました。誕生日の朝、晴子がいないからプレゼントもないな、と淋しく思っていましたら、書斎の机の上に宇未が自分で作ったと思われる手紙を見つけました。手紙を開くと、そこには、ママがパパにプレゼントを渡している絵が描かれていました。ママとパパの間には、うみとそうらはなの姿が描かれていて、みんな楽しそうです。そして、一番下にこう書かれていました。「パパだいすき。50歳おめでとう。これからもいっしょにいっぱいいろんなことしようね。ママがいなくてもいっしょにやっていこう。はな、そうら、ママ、うみより」 私は、この手紙を読んで思わず号泣してしまいました。そして、今も、私の胸のポケットにいつもこの手紙を入れています。私の人生の最高の宝物ですから。

 宇未のこの強さと明るさは、晴子のものです。私は、どちらかといえば、泣き虫ですが、晴子はいつも青空のようにカラッと明るいのです。ですから、青空を見上げていますと、晴子を思い出します。いつだったか、宇未と並んで芝生にねっころがって、空を眺めていた時に、自分が、大好きな青空を奪われた、鳥のように思われて、ああ、もう永遠に飛べないんだなーみたいなことを、呟いたことがありました。すると、宇未が、ケラケラ笑って、「パパ何言ってんの、じゃあ、お魚になればいいじゃない。そしたら、海で泳げるし」と言うのです。私がセンチメンタルになっているこういう時に、笑うところも、こんな発想をするところも、全く晴子だ、と思って、宇未の顔をまじまじと見ると、やっぱり宇未の中に晴子が棲んでいると確信するのです。そして、宇未こそが心から、ママは見えないけれども生きていて、いつもパパや自分や妹たちと一緒にいる、と一点の疑いも持たずに信じているのだと思うのです。

 娘たちと新しいことをしようと思い立って、宇未と私は乗馬を、創楽と羽永は歌のレッスンを始めました。共通の趣味を持つというのはよいことで、宇未とは馬の話をすることが、妹たちは二人で仲良く歌っていることが多くなりました。ですから、我が家はいつも賑やかです。

 今日は晴子の一周忌です。『破無礼』は、劇団の仲間たちから、「晴子さんの一周忌を待って、それから公演を出帆させましょう」と言っていただいたので、今、ようやく動き出します。『破無礼』に至る道は波乱万丈でした。しかし、いよいよ、満を持しての開幕です。

 今、祈るような思いでいます。どうか、一つ一つの舞台が恙無く終えられるますように、役者たちの普段の努力が実を結びますように、劇団員すべての思いが大きなうねりとなって、お客様一人一人を感動させれれますように、そしてたくさんのお客様に来ていただけますように・・・。

 

                              2006年1月27日