もう一度食べたい味

更新日:2013年2月26日

作家 丸山修身


 今回は食の話である。かつて山形県出身の作家井上ひさしが、最近の鮭は薄塩でおいしくない、と書いたことがある。昔の、焼くと真っ白に塩がふき出す、本物の塩引き鮭を食べたい、というのである。
 確かに昔の鮭は猛烈に塩(しょ)っぱかった。(しょっぱい、は田舎の方言)信州北端の我が家では、年取りの夜は必ず、この新巻鮭の切り身を食べたものである。なぜあんなに、口がひん曲がるほど塩をきかせたのだろう。おそらく長期保存の目的の他に、生臭さを消す意味があったに違いない。これが井上ひさしのいう、鮭特有のうまさを引き出すのだろう。誰だったか覚えていないが、他の著名人も井上ひさしの意見に大賛成していたことを記憶している。
 食の好みは人によって様々である。みなさんも、今はなくなったけれどもあれはおいしかったなあ、もう一度食べてみたいなあ、と思う食べ物があるに違いない。

 

 僕はタクワンを食べたい。米糠(ぬか)に漬けた、脂っこい糠の香りが染みた、昔ながらのタクアンである。大根は青首大根のような辛みのないものではなく、昔の三浦大根のように、ぴりっと辛いものがいい。色はどぎついような不自然な黄色みはイヤだ。
 漬け加減は浅漬けがいい。塩はやや薄味。つまり大根本来のうまさを損なわない程度の、ぴりっとしたタクワンがいいのだ。そのちょっと辛いタクワンをつまみに、ビールを腰がぬけるほど飲みたい。
 僕は味と同程度に、タクワン特有の噛み応えが好きなのかもしれない。ぐっと噛み切る時の、あの歯切れ良い、リズム感のある音。まさに今、好物を食べているという感じがするではないか。

 

 タクワン、というと思い出す一人の男がいる。田舎の小中学校で同級生であった仲條今朝吉(なかじょうけさきち)くんである。ひどく痩せていて、成績はいつも地上に落下寸前の低空飛行だった。青い二本棒の洟(はな)を垂らし、額に火傷のケロイドがあった。幼児の時、這っていて囲炉裏(いろり)に転げ落ちたのである。おやじさんは「屋根や」と田舎で呼ぶ、茅葺(かやぶ)き屋根の職人であった。
 今朝吉くんの家は貧しかったので、昼食の弁当のおかずはいつもタクワンであった。普通、ものを食べる時、あまり音を立てないよう周囲に神経をつかうものである。僕も近くでクチャクチャと音を立てられるのが大嫌いで、可能であればそっと席を離れる。
 タクワンの場合は特に大きな音が出る。しかし今朝吉くんには一切そんな気づかいはなかった。うつむいたまま表情も変えず、丈夫な歯でもくもくと食べ続けるのである。教室中に、カリカリ、ポリポリ、という乾いた音が、絶え間なく、盛大に響きわたる。やがて男子15人、女子13人の教室のあちこちからくすくす笑いが起こる。教壇で生徒に対面して食べている担任の先生もにやにや笑い始める。しかし今朝吉くんは、最初から最後まで、そんな周囲の反応にはまったくお構いなしであった。
 僕は思い出す。何と心地よい、おいしそうな音だったことだろう。ものを食べるに際して、僕はあれほど、ある意味では傍若無人、奔放、しかし爽快な音を今まで聞いた覚えがない。それは妙(たえ)なる音楽のようにも僕の耳に響き、食べる幸福をしみじみと感じさせた。そのせいか、僕はかすかに今朝吉くんを好きになっていた。音に惚れる、ということはあるものなのだ。

 

 この仲條今朝吉くん、中学を卒業して東京下町、隅田川近辺の町工場に就職したが、数年して行方不明となった。田舎の親兄弟や親しかった同級生とも、まったく音信が途絶えたのである。
 当然、田舎の同級会でもこのことが話題になった。僕も一時期、新宿の地下道などでホームレスを見かけると、無意識のうちに今朝吉くんを探して顔を見たものである。ずっと後に北朝鮮のよる拉致事件が発覚した時、まず僕は今朝吉くんを思った。しかし行方知れずとなった年代がやや早いから(拉致が頻発したのは1970年代後半)、北朝鮮ではないだろう。

 

 ここまで書いてきて僕はふっと思い出した。それは拉致被害者で2002年10月に帰国した、福井県小浜市出身、地村保志・富貴恵さん夫妻のことである。帰国直後の記者会見の席で、今いちばん食べたいものは何か、と問われた。すると即座に富貴恵さんが、「お姉ちゃんのつくったタクワン」と大きな声で、きっぱりと答えたのである。補足するかたちで脇にいた夫の保志さんが、実は北朝鮮でも大根を漬けてみたことがある、しかし日本のタクワンみたいにはならなかった、というようなことを述べた。
 これは強い印象を僕に残した。24年間、北朝鮮でもずっと日本のタクワンの味を忘れずにいたのだということが分かって、僕は感動した。それとともに、タクワンという食べ物はそれほどまでに強烈な記憶を残すものだと思い知らされた。それはおそらく、その人が育ってきた風土と環境に密接に関連しているからだろう。つまり、郷土と家庭の味なのだ。真っ白に洗われて葉っぱごと軒下にぶら下がった光景は美しかった。
 最後に、仲條今朝吉くん、もし生きているとすれば、今どこで、どうしている?