どぶろくと東北
更新日:2012.8.30
作家 丸山修身
この八月、『どぶろく天井』(鳥影社)という小説本を出版した。どぶろくは今も密造酒である。酒税法違反で、罰金最高50万円。
今回はどぶろくの歴史について簡単に触れてみたい。というのは、どぶろくの本場は東北だからである。特に秋田県はかつて「どぶろく王国」と呼ばれた。それと長野や新潟、また北陸、山陰など寒冷地の農村に多かった。
みなさんは、今も市販の酒類にはたいへん高い比率で税金がかかっていることをご存知だろう。戦前にあっては、国家の税収のトップは酒の税金だったと知ったら、みなさんも驚かれるはずだ。
昭和十年頃まで、全ての国税収入のおよそ三分の一が酒税であった。所得税、土地にかかる地租、を上回っていたのである。明治三十五年(1902)には全ての国税収入の実に42,2パーセントにも上っている。つまり、酒からの税収なくしては国家経営、軍備拡張はならないという構造になっていたのである。ちなみに最近では、平成二十年度で2,8パーセントであるから、密造酒のもつ意味合いが、天と地ほどにも違っている。
買った酒は高いから、貧しい農民は自分で収穫した米でどぶろくを造った。家でどぶろくを造って飲まれたのでは税金が入らないから、取り締まる税務当局も必死であった。ここから、様々な悲喜こもごもの攻防が発生した。見つかれば罰金が科せられ、それが払えなければ刑務所入りであるから、農民側も命がけで発覚を防ごうとする。床下、天井裏、馬小屋、藁小屋、大木の洞(うろ)、遠い山小屋、神社仏閣の本殿、お堂などに隠して密造したものだ。急襲を受け、とっさに馬や豚に飲ませてしまうということもあった。
どぶろく史上有名な「猫ノ沢事件」というものがある。大正五年(1916)、秋田県の「猫ノ沢」という山間の小さな集落で、密造を摘発しにやってきた税務署員の一隊を、三十人ほどの農民が集団で襲ったのである。鎌やナタで切りつけられ、税務署員二人が意識不明の重傷を負った。
普通、山間僻地の百姓が、武器を持ってお上(かみ)を襲うなどということはあり得ない。おそらく現場で、よほど侮蔑的差別的な税務署の言動があったのであろう。どぶろくの問題は、戦前は大きな社会問題で、民俗学者・柳田國男も取り上げて論じている。
実は信州北端の僕の家でも密造が見つかったことがあるのだ。この時、家のじいさんは、これはどぶろくではない、酢をつくっているのだと言い逃れたのである。税務署の酒役人は、すべてを承知の上で、笑って見逃してくれたというから、よほど酸っぱい、しくじったどぶろくだったのだ。我が家では、何度造ってもうまく出来たためしがなかった。それでも懲りずに百姓のおやじは仕込むのであった。
団塊の世代である僕の記憶では、どぶろく密造は昭和四十年頃までは盛んに行われていた。ちょっと年下の青森県出身の知人の話では、近所のお百姓さんはみんな造っていたという。幼少の頃、それを甘酒だと思って隠れ飲み、ひどく酔っぱらったそうである。今はみんなすました顔をしているが、ついそこにあった世界なのだ。
どぶろく造りを禁止している酒税法は憲法違反だ、と訴えた裁判も1980年頃にあった。自分でつくった米で自分が飲む酒をつくって、どこが悪い、基本的人権の侵害だ、という訳だ。前田俊彦という人で、自分で実際に仕込み、利き酒会を開くと称して国税庁長官にまで招待状を送り、国を挑発したのであった。結局、最高裁まで争って前田は負け、罰金30万円だったと記憶する。どぶろくの運搬には水枕を使った。熱がでた時につかうあれである。昔はペットボトルなんてものは無かったし、ガラスのビンは割れやすい。それにどぶろくは発酵が続いてガスがたまりやすい。その点、水枕はゴムなので多少は膨らむ。それに漏れない。
これは僕の村に実際あった話だが、先生たちが学校の職員旅行で、隠れて水枕にどぶろくを詰めて持っていき、旅館に着いた瞬間水枕が破裂し、玄関がどぶろくまみれで真っ白になった。リュックサックの中で揺られているうちにガスが充満したのだ。とにかく僕にとって、どぶろくというと、物哀しいとともに、幾分か、面白おかしい。
そういう歴史も踏まえ、農民に対するいとおしみを込めて作品を書いた。現代の東京で、実際にどぶろくを造って飲む話である。本にはその『どぶろく天井』の他に、『極楽草紙』、『銀子の話』、『クモスケの一日』、『ハウチワカエデ』の四編を収めた。
『極楽草紙』は、豪雪の下、深い仏教風土の中で懸命に生きる人々を書いた。
『銀子の話』は、家庭教師をした少女にまつわる、ぎりぎりと拷問のような苦しい時間と、それからの救済を書いている。
『クモスケの一日』は、さびれたオデン屋に棲みついた、クモスケという名のハエトリグモの視点から、この世の喜怒哀楽、おかしな人間の営みを綴った。
『ハウチワカエデ』は、山に自殺をしに行き、偶然一人の女性と巡り会ったことで、この世に帰還する男の話である。
にしても、僕が東京で、自分で実際に造ったどぶろく、なかなかうまくいかないものである。上達し、名人の域に近づいたら、必ず劇団のみなさんにもふるまうので、乞うご期待。