天から遣わされた人・石牟礼道子
更新日:2015年10月27日
作家 丸山修身
前回は、戦後、陸地を舞台に書かれた最も素晴らしい文章として吉野せい『洟をたらした神』を採り上げたので、今回は海の最高の文章と僕が感じる、石牟礼道子『苦界浄土』について書くことにする。
『苦界浄土』は水俣病について書かれた不朽の名著としてつとに有名である。ジャンルは何に区分けしたらいいのだろう。ノンフィクションともいえるし、壮大な叙事詩と言えないこともない。とにかくすぐれた文章としか言いようがないものだ。
数年前、河出書房新社が「世界文学全集」を作家池澤夏樹の個人編集で刊行したが、その中で池澤は、日本文学の代表として小説ではなくてこの『苦界浄土』を選択している。これは池澤の叡智(えいち)だと思う。
もし次のノーベル文学賞が日本から出るとしたら、それは村上春樹ではなく、石牟礼道子にこそ授与されるべきだと僕は考えている。
早速文章を引こう。ある老いた漁師が、あねさん(石牟礼道子)に、水俣の海での夫婦二人の漁を語る場面である。ちょっと読みにくいところは我慢していただきたい。
沖のうつくしか潮で炊いた米の飯の、どげんうまかもんか、あねさんあんた食うたことあるかな。そりゃ、うもうござすばい、ほんのり色
のついて。かすかな潮の風味のして。
かかは飯たく、わしゃ魚ばこしらえる。……あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。……これより上の栄華のどこにゆけばあろうか
い。寒うもなか、まだ灼け焦げるように暑うもなか夏のはじめの朝の、海の上でござすで。水俣の方も島原の方もまだモヤにつつまれて、そ
のモヤを七色に押しひろげて陽様(ひいさま)の昇らす。ああよんべはえらい働きをしたが、よかあ気色になってきた。
かかさまよい、こうしてみれば空ちゅうもんは、つくづく広かもんじゃる。空は唐天竺までも広がっとるげな。この舟も流されるままゆけ
ば、南洋までも、ルソンまでも、流されてゆくげなが、極楽世界じゃのい。
いまは我が舟一艘の上だけが、極楽世界じゃのい。
『海石』
ここでは水俣方言がきわめて効果的に使われていることに、みなさんもお気づきだろう。リズムにのると、小舟で揺られているような心地よさである。もしこれが共通語で語られたとしたら、ずっと味気なく、平凡なものとなる。
ちょっと脇にそれるが、池澤夏樹は、二年ほど前から「日本文学全集」も個人編集することになり、その際、収録作品の基準として丸谷才一にならって次の三点を考えたという。
1 伝統を重視しつつ
2 実験的な新しい手法を駆使し
3 しかも都会的でしゃれている
岩波書店『図書』2015年9月号より
しかし、この基準と、池澤が「世界文学全集」に日本の名作の代表として選んだ、『苦界浄土』の上の文章を比較してみていただきたい。正反対ではないか。特に「3」とは完全に背馳(はいち)している。これは、本当に良い文章は、付け焼き刃の薄っぺらな文学論など吹き飛ばす力をもっている、ということの証明だろう。
僕は時々、もし石牟礼道子が存在しなかったら、と考えることがある。水俣病の死者は千人を超え、足尾銅山と並んで日本最大の公害として歴史に記憶されることは間違いない。しかし内側から、いわば「人間の真実」として記憶されることはなかっただろう。
この時期に石牟礼道子が水俣に生きていたことは、まさに天の配剤ともいえる不幸中の幸いであった。僕が「天から遣(つか)わされた人」と感じる所以(ゆえん)である。足尾銅山にしても、全てをすてて闘った田中正造がいたことが、どれほど後世の我々の救いとなっているか知れない。
本当に生きていてくれて良かった。僕がそう感じるのには、更に訳があるのだ。この人は若い時に自殺を図って生きのびた人だからである。
この秋にいよよ死ぬべしと思ふとき十九の命いとしくてならぬ
わが命絶つには安き価なり二箱の薬が五円なりといふ
死なざりし悔が黄色き嘔吐となり寒々と冬の山に醒めたり
おどおどと物いはぬ人達が目を離さぬ自殺未遂のわたしを囲んで
石牟礼道子歌集『海と空のあいだに』(葦書房)より
良い文章の特徴は、読んだ後、世界が変わって見えてくることである。映画、演劇、音楽などもそうだ。そして一場面でも強烈に長く印象に残り、ときどきぽっと記憶に甦る。するとまた無性に読んだり見たり聴いたりしたくなる。
次は豊かな海が有機水銀に汚染され、猫に水俣病が発症していく場面である。
網子たちは男も女も家を出て呼びあいながら駈け出して、部落じゅうが舟を出す。……櫓を漕ぐ者、かぐらをまわす者、舵をとる者。灯と
灯は呼びあい漁師たちの声はひとつになる。
えっしんよい、えっしんよい。
えっしんよい、えっしんよい。
調子は早くなり、暗い海の隅々をたぐり寄せるしぶきの中で、筋くれた皆の手が揃う。網の中の魚たちも応える。応える一匹一匹の尾や頭
のはね具合まで、網の重みで漁師たちにはわかるのである。なにしろ海はいつも生きていた。それがめっきり、魚のたおるるぞう、と村中で
よびあう声をきかなくなっていた。
猫たちの妙な死に方がはじまっていた。部落中の猫が死にたえて、……あの踊りをやりだしたら必ず死ぬ。
『もう一ぺん人間に』
海の鼓動が感じられるような文章ではないか。つまり石牟礼道子にとって、海は外にあるのではなく、体の内部にある。詩人的感性に恵まれた文学者の特徴である。それが感じられる俳句を紹介してこの文を終える。
三句目はジャン・コクトーの有名な訳詩「わたしの耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」(堀口大學訳)を踏まえている。
さくらさくらわが不知火はひかり凧
椿落ちて満潮の海息低し
わが耳のねむれる貝に春の潮
潮の満ちくる海底へゆくねむりかな
『石牟礼道子全句集』(藤原書店)より