現代の神隠し・月山にて
更新日:2015年8月1日
作家 丸山修身
夏山シーズンである。時々、中高年の遭難騒ぎがマスコミで報じられている。さて今回は、山で起こった不思議な遭難を取り上げる。その山は、山形県出羽三山の一つ、標高1984メートルの月山(がっさん)である。
あれはもう25年ぐらい前になるだろう。地元の一人の中年男が、月山で忽然(こつぜん)と姿を消し、地元民の何日にもわたる懸命の捜索にもかかわらず、遂に発見されることはなかった。その姿の消し方が実に不可解で、マスコミは「現代の神隠し」としてかなり大きく報じた。山好きの人であれば、記憶しておられる方も多いのではないか。
詳しく経緯を述べる前に、先ず僕がこの後、月山に登った話から始めよう。あの不思議な遭難騒ぎと関係があるからである。
山日記を読み返すと、あれは1993年10月14日のこと、僕は湯殿山を経て一人月山に登った。東北のこの季節はもうすっかり登山シーズンが終わっていて、山中で行き会う人もなかった。木々はすっかり葉を落とし、ナナカマドの赤い実だけが、うっすらと霧が立ちこめた山腹を鮮やかに彩っていた。
頂上のちょっと下に、芭蕉の句碑があった。
雲の峰幾つ崩(くずれ)て月の山
『奥の細道』の旅で、芭蕉は月山に登っているのだ。前夜、少し雨がふったので、句碑にはエビの尻尾みたいに霧氷が付着していた。芭蕉が登った頃、頂上は笹に覆われていたそうだが、今は平らな頂上に笹はまったくない。
登っている間、ずっと、二、三年前にこの山で起こった不思議な遭難のことが頭を離れなかった。それは盆期間中のことだった。一人の中年男が、僕が登ってきた湯殿山とは反対側の、月山八合目、弥陀ヶ原から頂上目指して登って来て、もうすぐ山頂というところで姿を消したのである。
当日は天気もきわめて良く、また盆ということで、たくさんの登山者が月山に入っていた。月山は修験道の山岳信仰の山である。白衣の行者装束に身を固めた多くの人達が、金剛杖を持ち、「懺悔 懺悔 六根清浄(さんげ さんげ ろっこんしょうじょう)」を唱えながら、頂上の月山神社をめざして登ったに違いない。実際に一人で頂上目指して登っていく男を、多くの人が目撃し、その証言があった。
山小屋がすぐ上に見える辺りまで来ていたそうである。この辺り、標識はしっかりしていて、道に迷うような場所はまったくない。ましてや地元の人間である。それがふっと行方不明になった。
「きじうち」に行って、心筋梗塞、脳卒中など体に異変が起きたとも考えられた。山言葉で、男が登山道を外れ、隠れて排泄することをきじうちという。(ちなみに女性の場合は、「お花摘み」)
しかし、きじうちならば姿を隠せばいいだけだから、そう登山道から遠く外れないはずである。大々的に山探しをすれば、すぐ見つかる。
自殺、ということが当然考えられた。しかし家族は強くその可能性を否定した。日常のふるまいに変わったところはまったくなかったそうである。それに男は山頂の山小屋に、当日の宿泊を予約してあったそうである。自殺を考える人間が、予約などするだろうか。
あれやこれやで、とにかく不思議だということになった。神隠しーこの言葉が、自然発生的に使われるようになった。
10月14日の当日、僕が頂上に着いたのは午後1時頃だった。小屋は既に営業をやめている。僕は一人、隣の小さな物置小屋で一夜を過ごすことになる。管理人に電話をして状況を確認、許可を得てあった。暗いコンクリートの床隅にゴミが押しつけられ、殺風景きわまる内部であった。
時間はまだ早い。僕はふっと、一つの考えを思いついた。行方不明の男が辿った道を、自分も歩いてみようと考えたのである。そこでサブザックだけを持ち、反対の羽黒山側、弥陀ヶ原に向けて早足で下っていった。
弥陀ヶ原は月山八合目、登山シーズンには鶴岡、羽黒山方面からバスがここまで上ってくる。が今は人影もなく、摩滅した石仏だけがもの侘びしげに寒風の中に林立していた。コウホネ、ヒツジグサなど池塘(ちとう)の水草は、ほとんで涸れかけている。
僕は男が当日登った道を、辺りの様子を確認しながら登り返していった。行者返し、などと怖ろしげな名がついた場所もあるが、特に難所といえるところはない。きわめて登りやすい登山道である。
いよいよ男が姿を消した辺りにきた。僕は足を止め、じっと周辺を見回した。登山道は広くはっきりして、踏み間違いようがない。どの標識もしっかりしていて、明確に頂上に至る道を指し示している。さらに前方には山小屋の屋根が見えている。しかし下の沢筋は猛烈な笹の海である。
僕は思った。男は自らの意思で、あの深い笹の中に姿を消したのだ、と。魔がさすように、ふっと死にたい気持ちが起こったのではないか。だったら無理に探し出すことはない。そのまま永遠に眠らせてやった方がいい。
古来、月山は地元では死者がいく山とされてきた。作家・森敦も名作『月山』の中で、次のように書いている。
月山は遙かな庄内平野の北限に、富士に似た山裾を海に曳く鳥海山と対峙して……月山が、古来、死者の行くあの世の山とされていたのも、死こそはわたしたちにとってまさにあるべき唯一のものでありながら、……庄内平野がこの世の栄えをみることができるのも、まさに死者の行くあの世の山、月山のめぐみによると言わねばならない。
この夜のことだが、僕は一人でシュラフの中にエジプトのミイラみたいに横たわっていて、あの行方不明の男が、ふっと小屋に入ってくるような気がして困った。冬も越しているし、生きてなんぞいるはずはないと頭では思いながらも、恐怖が消えないのである。
前日、湯殿山麓で二体の即身仏のミイラを見たのがいけなかった。がっくり窪んだ眼、黒光りする肌、しぼんで枯れ枝のようになった細い指。そんな怖ろしい姿となって、ぎーっと戸を引き開けるような気がするのである。僕はとうとう朝までほとんど眠ることが出来なかった。
あの男は今も深い笹藪の中で、骨となって安らかに眠っているに違いない。やがてそれは誰にも知られず、望み通り、月山の土に還っていくだろう。