東北のミイラ仏

      更新日:2012.7.2

作家 丸山修身

 

 今回は東北のミイラ仏について書く。みなさんは、即身成仏(そくしんじょうぶつ)という言葉を聞いたことがあるだろうか。生きたまま仏になっていくこと、つまり自ら食を極端に減らし、自然と我が体をミイラと化して死んでいくすさまじい宗教行為のことで、このミイラとなったものが、すなわち即身仏(そくしんぶつ)である。
 死んでも腐敗しないよう、米や麦などの穀物は食べない。口にするのはわずかな木の実と草だけだという。こうして時間をかけ、自らの体を、徐々に徐々にしなびさせていくのである。即身仏の正確な数は不明だが、全国に十七、八体残っているらしい。東北、特に山形県、月山、湯殿山一帯に多い。
 僕は今までに即身仏を四体見ている。うち二体は、山形県酒田市の海向寺で、もう一体はやはり庄内地方、月山ふもとの大網集落・大日坊である。そしてもう一体は、同じく大網七五三掛(しめかけ)集落の注連寺である。
 いずれも真言宗の寺院である。真言宗がこれを行ったのは、開祖・弘法大師空海が、高野山においてこのようにして入定したと伝えられているためだ。
 注連寺は、森敦の芥川賞作品『月山』の舞台となった寺として有名で、現在境内に、お堂に似たたたずまいの「森敦文庫」が建っている。今年は森敦の生誕100年ということで、秋にはここで「月山祭」が開かれるとのことだ。  
 森敦は、昭和二十六年の秋から翌春まで一冬を注連寺で過ごした。受賞は昭和四十九年(1974)のこと、この注連寺に鎮座している即身仏が、僕がこれから書く、鉄門海上人である。
 言い伝えによれば、鉄門海上人は激しい人で、若い頃、女性に対する煩悩を断ち切ろうとして、自らの睾丸(こうがん)を引きちぎったという。この通りとすれば、すさまじいかぎりの仏道修行だが、これは後世の作り話だろう。あんなものは痛くてとても引きちぎれるものではない。その前に確実に失神するだろう。
 森敦はあるエッセイで、この鉄門海上人について書いている。それによれば、この即身仏、戦後の一時期、京都に持ち出されて見世物になっていたというのだから、驚く。金稼ぎの道具に使われていたのである。
 さらに森敦は、『月山』でびっくりすることを書いている。この即身仏、本来のものは火事で消失してしまい、今あるものは実はえらい坊さんなんぞでなく、旅で行き倒れたやっこ(乞食―こじき)を使って作ったものだというのだ。肛門から陰部にかけて切り裂き、そこから鉄鉤(てつかぎ)を入れて内蔵を抜き取り、山小屋に吊していぶして、いわゆる燻製(くんせい)にしたのだという。小説であるからそのまま事実とは言えないが、そういう話が地元に連綿と伝えられてきたのは確かだろう。そう考えると、もし本物の鉄門海上人であったなら、いくら寺が困窮したといっても、京都くんだりまで見世物として貸し出したかどうか疑わしい。無論、すべての即身仏がそうであった訳ではない。
 僕が目の前に見たこの鉄門海上人、煙でさんざんいぶされたことを証明するかのように、熟れた栗の実のような色をしていた。防腐防虫のために蠟(ろう)か油を塗ったのだろうか、見事にてらてらと光っている。頭も体も縮んで、六、七歳ぐらいの子供の大きさである。目はがっくりと洞窟みたいにくぼみ、やや首うなだれて、きらびやかな高僧の衣を着せられて、背中までかかる頭巾をかぶせられて、観光客の前に身をさらしていた。いくら即身仏とはいえ、やはり気味が悪い。
 僕は拝観した翌日、湯殿山を経て、一人月山に登った。もう二十年近く前のことである。十月半ばのこと、紅葉の季節は過ぎ、すでに頂上小屋は営業をやめていて無人、隣の避難小屋に入って一人でひどく冷え込んだ夜を過ごしたのだが、この顔が夜中によみがえってきて困った。子供の頃、夜の闇が怖くて、一人で外の便所に行けなかったほど臆病なのである。鉄門海上人が、あの姿で、ガタガタと入口の戸を揺すって入ってくるような気がして、ほとんど眠ることができなかった。
 即身成仏が行われたのは主に江戸時代である。このきびしい行が、何故当時、東北で行われたのだろう。僕はやはり、東北を繰り返し襲った飢饉と切り離して考えることは出来ない。想像してみていただきたい。豊かな南国で、もし食べ物の心配がまったくなかったら、自ら食を絶って死んでいくなどいう究極の荒行が行われだろうか。おそらく身近に餓死していく人を見たはずである。その人々の魂の救済。その行き着く果ては、自らが飢えることではなかったか。
 話は変わるが、注連寺の森敦文庫に一枚の写真が展示されていた。結婚式で撮られた両家の家族写真である。若い森敦は堂々たる秀才の美丈夫だが、隣の夫人の、なんと、ういういしく、美しいこと! 山形・酒田の人である。僕はこれほどうっとりするばかりの美麗な女性を今まで見たことがない。みなさんも、訪れる機会がもしあったなら、ぜひこの前に立っていただきたい。嘘でないことが分かるはずだから。