朝の紅顔・夕の白骨

 

更新日:2014年10月3日

作家 丸山修身

 

 御嶽山が突然噴火した。僕の友人の女性が、ちょうどあの一週間前に御嶽山に登っており、衝撃をうけてメールをくれた。もし天気が悪ければ、一週間先延ばしにした可能性もあったという。とすれば、……。
    添付された写真は、深く澄んだ青空の下、のどかで雄大な、魅力あふれる御嶽山の秋風景であった。まことに生死の境は薄皮一枚だ。更に約一ヶ月前には、広島で大きな土砂災害があった。
 日本は自然災害が多い国である。従って、突然の死に多く遭遇することになる。朝には血色のよい顔で御飯を食べていた人間が、夜には冷たい死体となって横 たわっている。これを見る家族親戚、友人知人の悲しみと驚きはいかばかりだろう。3月11日の東北大震災以降、僕は特にこのような死を強く意識するように なった。
 こういう時、僕がいつも思い浮かべる言葉がある。「朝の紅顔・夕の白骨」である

       ……およそはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)
     まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。されば、いまだ万歳
           (まんざい)の人身(にんじん)をうけたりといふ事をきかず。
            一生すぎやすし。いまにいたりて、たれか百年の形体(ぎょうたい)
            をたもつべきや。我やさき、人やさき、けふともしらず、あすとも
            しらず、おくれさきだつ人は、もとのしづく、すゑ(え)の露よりも
            しげしといへり。
            されば、朝(あした)には紅顔ありて、
            夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
                 (『蓮如文集』 岩波文庫)
    
          (はかないことは、この世のすべてが幻のような一生であることだ。いまだ、千歳も万歳も生きたと

            いう人を聞かない。人生は過ぎやすい。誰が百年も同じ姿形を保つことが出来ようか。自分か、他人

            か、今日明日とも知らずに死んでいく人は、しずくや露よりもおびただしいというべきである。朝方

            には健康な色つやのいい顔をしていても、夜には白骨となる身なのだ)

 浄土真宗中興の祖・本願寺第八代法主・蓮如(1415―1499)の有名な「白骨の御文章」である。これは門徒にあてた手紙のかたちをとっており、浄土 真宗ではお経として読む。僕の家は、西本願寺の門徒であったので、このお経を子守歌のようにして育ったものだ。そしていつしか、意味もさして解らずに暗記 していた。

 朝の紅顔・夕の白骨―蓮如は宗教観念を述べたのではない。おそらくこれが当時の現実であった。蓮如の生きた時代は、応仁の乱(1467)を始め、戦乱と 一揆が絶えなかった。自然災害も当然頻発したはずである。まさに、にこにこ微笑んでいた人間が、一瞬にして死者となる場面を蓮如は多く目撃したに違いな い。だから言葉が浮き上がらず、心にいつまでも残るのである。

    蓮如だけではない。中世の仏教者、隠者はさまざまな生死に関わる深遠な言葉を残した。浄土真宗の門徒でなくても、次の言葉はみなさんもご存知だろう。
    
            善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや。
                (『歎異抄』)

    (善人でさえ往生をとげることが出来るのだ。
            どうして悪人が往生出来ないはずがあろうか)
    
 これは浄土真宗の開祖・親鸞(1173―1262)の言葉を、弟子の唯円が思い出して書き留めたものである。
 高校時代、日本史の授業で初めてこれを知った時、不思議な言葉だな、と思った。いやに逆説めいた、七面倒くさい言葉に聞こえたのだ。
 今の僕はもっと単純に考えている。解りにくいと感じるとすれば、それはおそらく「悪」という言葉の意味を間違って理解しているのである。今の僕たちが、 「悪」という言葉を理解する時、無意識のうちにキリスト教の影響を受けている。しかし、親鸞の時代、「悪」という言葉はもっと広い意味で使われていたよう だ。
 僕の考えでは、「悪人」とは貧しい庶民のことである。「善人」とは貴族など、生活に困らない上流層。当時の農民、庶民は「悪」をなさずして生きていくこ とは出来なかった。例えば、間引き(産み落としてすぐの嬰児殺し)、そして盗み。ともに、乏しい食糧の中で、やむにやまれぬ、ぎりぎりの行為であった。そ ういう生きるに切羽詰まった人達にこそ、親鸞は救いの手をさしのべたのだと思う。
 柳田國男の民俗学の出発点になったのは、子供の頃、近所の神社で、母親が産み落としたばかりの赤児を絞め殺す絵馬を見たことだという。なぜ、あのようなことをしなければならないのか。なぜ、あんなにも貧しいのか。

 また親鸞のほぼ同時代人、兼好法師(1283?―1350?)は、次のように言っている。

 

            死期(しご)は序(ついで)を待たず。死は前よりしも
            来らず。かねてうしろに迫れり。人みな死あることを知り
            て、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。
                   
       
      (死ぬ時期は順序通りにはやってこない。死は前からやって
            くるのではない。いつも背中を追いかけているのだ。人はみな
            死がやってくることを知っている。しかし今すぐではないだろう
            と思っているうちに、突然やってくる。)
                       (『徒然草』 第百五十五段)
    
 死は前からやってくるのではない。いつもすぐ後ろを追いかけているー怖ろしいほどのリアリズムである。こういう日本人の死生観、無常観は、地震、火山など自然災害が多いことと密接に関係していると思う。
   

 僕は今、机の上に自分が御嶽山で撮った写真を広げて見ている。素晴らしい夏の山日和であった。噴火が治まったら、いつかまた登りたいと願っている。たとえ「朝の紅顔・夕の白骨」となろうとも。