『武蔵野夫人』の川

更新日:2014年4月30日

作家 丸山修身

 

  僕が住む小金井市は東京都の西部、多摩地区にある。新宿から西に中央線で20数分、自然が豊かなことがその特徴であろうか。周辺の三鷹、府中、国分寺、小 平など各市と一緒に「武蔵野」と呼ばれている。公園が多く、木々はさまざまな色調の緑に染まり、今がもっとも爽やかで美しい季節である。
 この地 に住んで40年以上になる。シェイクスピア・カンパニー主宰・下館さんと出会ったのも『サラリーマン大学』という名の東小金井の赤ちょうちんの飲み屋で あった。たまたま隣に座って大酒を飲んだことが長い付き合いのきっかけになったのだから、まったく人の出会いというものは分からない。下館さんは当時、近 くの国際基督教大学の学生であった。

 なぜこの街にずっと住み続けたのだろう、と最近ふっと考えることがある。その理由の一つが、川が流れているからだ、と答えたらみなさんは驚かれるだろうか。
  僕は川、特に小川、が大好きなのだ。旅行をしても、川がきれいだった街はいつまでも心に残っている。例えばその一つが、福岡県の甘木(あまぎ)。川べりに 咲いていた黄色い菜の花、そしてとりどりの雑草までがどこか奥ゆかしく思われた。逆にがっかりしたのが島根県の津和野。かなり昔のことだが、大きな錦鯉が およぐ溝の水が白濁して、ひどく興ざめであった。今はどうなっているだろう。

 僕が住む近くを流れている川の名は野川(のがわ)という。多摩川の支流の一つで、国分寺市の日立製作所中央研究所の敷地内に源を発し、世田谷区の二子玉川付近で多摩川本流に合する。全長およそ20キロ。
    小金井のこの辺りは、大岡昇平の名作『武蔵野夫人』の舞台となったところである。(昭和25年・1950年発表)
    大岡は小説の中で次のように書いている。

     野川はつまり古代多摩川が武蔵野におき忘れた数多い名残川の一つである。……樹の多いこの斜面でも

  一際(ひときわ)高く聳(そび)える欅(けやき)や樫(かし)の大木は古代武蔵野原生林の残物である

  が、……古代武蔵野が鬱蒼(うっそう)たる原生林に蔽われていたころ、……斜面一帯はこの豊かな湧き

  水のために、常に人に住われていた。
               (『武蔵野夫人』第一章・「はけ」の人々)

 この斜面、つまり「はけ」と呼ばれる高さ20メートルほどの崖地から湧き出す豊かな水が、野川の源となったのである。水が豊富であったため、この辺りは縄文期の遺跡が非常に多い。
    
    野川の水が豊かな季節には、今も子供達が入って川遊びをしている。小さな網を持って、魚や水棲昆虫を探しているのだ。アメリカンスクールが近いので、先 生に引率されて生徒達が勉強にやってきて、楽しそうに川に入っているのも見かける。子供が川を好きなのは、日本もアメリカも変わらない。川遊びが嫌いだと いう人は、みなさんの中にもおそらくいないだろう。

 ところがこの野川が最近、季節によってひどく水涸れするのだ。春先や夏場にはすっかり干上がって、白々とした川底に容赦なく陽が照りつけている。水が流れない川ほど無残なものはない。
    水涸れの原因として、周辺に住宅が数多く造成されたため、湧き水が減ったからだと言われる。が、それだけではない。なんと川底から水が漏るのだ。みなさ んはこの現象が想像できるだろうか。流れてきた水が、途中で川底に染み込み、ふっと姿を消すのだ。そしてちょっと下流にいくとまた水が流れ出し、しばらく 行ってふっと消える。そういう場所が何カ所もある。つまり河川改修の失敗である。
    
    かつて水害が発生したこともあって、20年以上前だろうか、野川の改修工事が行われた。この時、川底を深くえぐり、表面の粘土層を剥ぎ取り、下の砂礫層 を剥きだしにしてしまったのである。川床が砂や小石になってしまったのだから、当然そこから水が漏ることになる。長年にわたって堆積した粘土層は、大切な カバーの役割をはたしていたのだ。
    そこで今度は逆のことをやろうとしていて、毎年区間を決めて復活工事をやっている。つまり元のように粘性土を川床に張りつけ、その上を重機を入念に走ら せ、固めようとしている。ところがこれがうまくいかない。工事後も水漏れが止まらないのだ。自然破壊の好例、一度こわした自然は容易には元に戻らない、と いう典型である。
    
    工事の発注者は東京都建設局である。東京都も自ら犯した大失敗を気にしているのだ。住民の厳しい視線は気になる。しかしおそらく東京都はこれで野川が復活するとは本気でなど思っていないのだろう。でなければ、同じ工事をやり続ける訳が分からない。   
    とにかく、何かやっています、という恰好だけはつけたいのではないか。そこで無駄とは分かっていても、延々と効果のあまりない工事をやり続けることになる。予算もつくから、工事関係者に金も落ちる。万々歳という訳だ。
    現在もまた、川底を掘り返して、性懲りもなく虚しい工事をやっている。僕はそれを見るのがいやなので、つい散歩の足が遠ざかりがちになる。
    
    僕はふっと考えるのだ。かつて日本人には知恵があったはずなのだ。というのは、昔、新田開発をした時、用水の確保はもっとも重要な問題であった。水の流 れ道をつくっても、途中で水が漏って、田んぼに導水されないのでは、オハナシにならない。必死に水漏れ防止を考えたはずである。
    その時どうしたか。これは僕が記憶で言うのだが、用水路の底を、棒の先を丸くして、丁寧に突き固めていったという。このようにして、人の手で小さい穴もふさいだのだ。重機でいくら上を走っても、ダメなのだ。小さな隙間は埋まらない。
    また昔、小金井の北部には玉川上水がたっぷりした水量で流れていた。これは江戸町民や東京都民の大切な生活用水であったから、入念に水漏れ防止策を施したはずなのだ。こういう先人の知恵をどうして借りようとしないのだろう。実に不思議ではないか。
    
    かつて『武蔵野夫人』で次のように描かれた野川である。
    
     若い杉の間を通って野川の流域へ降りた。川はわずかな距離の間に著しく水量をまし、板と杭(くい)

  で護(まも)られた岸の間を深く早く流れていた。流域は狭く、多くの湧水が池をつくっていた。
    (『武蔵野夫人』第四章・恋が窪)
    
    こんな豊かだった野川が、少しでも甦ってほしいと僕は願っている。澄んだ小川の景色を見るのが大好きだから。