下館和巳のイギリス日記
Vol.10 ―ランズエンドへの旅(2)―シモダートムーア― シェイクスピアの誕生日を記念しての六部作 その4
ここから、ロンドンに戻る千葉父娘と別れて、劇団のホームぺージの創設者梶原氏とダイエットの達人祥子夫人、 橋元氏と私の4人で一路南へと向かった。このランズエンドへの旅は、仙台から下北半島の恐山へのそれに勝るとも 劣らぬものがあるから、運転席に着いた時、イギリスで初めてハンドルを握る梶原・橋元両氏の目には、常ならぬり
りしい緊張感が漂っていた。ケンブリッジからバースまでは梶原氏、バースからエクセターまでは橋元氏が担当した が、梶原氏は「わたし、海外での運転はグァム島以来久しぶりだげっとも、右ハンドルはやっぱりラクチンだっちゃ ね」とベテランらしい余裕の走りを見せ、橋元氏は「うわ―っ、おいらほんとにイギリス走ってるんですよね」とロ
ミオ張りの初々しさを見せた。なだらかな丘陵を走りぬけ、軽くだが迷いつつも順調な足取りで、私たちはデヴォン 州の街エクセターに入った。夕刻だがサマータイムでまだ空は明るい。
この街には、私が二十歳の頃留学していたエクセター大学がある。「エクセター大学なんて聞いだごどないっちゃね」 (梶原氏)「んだがら。誰ががいつが、下館先生ってエクスタシー大学に留学してだんだすぺ、って言ってだくらいだが ら」(私)「爆笑」(皆)そうこうしているうちに、私は気がつけば、あたかも橋元氏を騙すようにして、かつて自分が生活
していた大学の寮に車を導いていた。プリンス・オブ・ウエールズ・ロード、ホープホール・レイゼンビイ卿館。たたず まいは昔と少しも変わらず美しい。よくその前で物思いにふけったフランス窓の前に立つと、私は26年前にトランスした ような気持ちになった。
これまでナヴィ役だった私は、ここから第三の男としてハンドルを握るはずであった。しかし、私が運転席に着き慣れ ぬ手つきでマ二ュアル車のバン(運転したことがない)を動かし始めると、車内に重苦しい空気が流れるのを感じた。 第一の男梶原氏も第二の男橋元氏も疲れていたに違いなく、不安をいだきながらもいた仕方なく私に運転を任せた風
であった。いや、私のテンションの異様な高まりに言葉を挟めなかったのかもしれない。祥子夫人は祈るように目を閉 じていた(ただ眠っていただけかもしれないが)。
本当は、本道を走れるだけ走って、限りなくランズエンドに近ずくはずだった。しかし、どこかで魔が差した。ここ だけは避けたいと恐れていたあのダートムーアに向かってしまったのだ。ある坂道の途中で車が停止。すぐ後ろに車が続く。 進むどころかバックしそうな状況を、梶原氏が見るに見かねて運転交代。しかし、ずるずると私たちはムーアに入り込んで
行く。実のところ、私は名だたるシェイクスピア学者W.ナイトがいたからではなくて、シャーロック・ホームズの名作「バ スカヴィル家の犬」の舞台ダートムーアの近くだったからこそ、この大学を選んだのだ。乗馬部のメンバーとなって、私は 魅惑のムーアを駆け巡ったものだ。
ムーアは危険ゾーンを含む神秘の領域である。「ムーアが寄らないで行きそうなのを見て、なんだや、久しぶりにきた のに水くさいよってひっぱつたんだね」と私は思った。ムーアの磁力はさすがに強い。そのうちに、忍び寄る闇とくねくね とした道に私たちのコンが尽きた。尽きた村はモートンハムステッド。ホームズファンにはゾクゾクする名前である。B&B
を探す。最初は暢気に、しかし次々と断られるうちに強い焦燥感をもって。これはもう車中泊か、明かりのない道を先に進 むか、と言う決断を迫られそうになった時に、B&Bとも書いていないパブでふと「部屋はありませんか?」と聞いてみると、 パブの親爺が私の顔をジロジロ見て。「全部ダブルべッドだけど」と。私はためらう余裕もなくOKした。
一階がパブというのは、酒飲みにはうってつけの宿ではあって、私たちは巨大なソーセージに無邪気に喜びながら、 ビールを味わった。
宿の作りはどう見ても特別な男女のためのものだったが、その夜は、ムーアの疲れが、並んで横たわった二人に快楽 の眠りを貪らせた。