下館和巳
第五幕
「黄色い靴下とドジョウ掬い」

プロフィール

1955年、塩竃市生まれ。

国際基督教大学・大学院

卒業。英国留学を経て東

北学院大学教養学部教

授。比較演劇選考。シェ

イクスピア・カンパニー

主宰


去年、「十二夜」 という喜劇の構想を考えていた時に、 難問に直面して挫折しか
かった。                                      
 その難問とは、マルヴォーリオという執事が、女主人に恋狂いをしたときに身に
つける黄色い靴下である。 知ったかぶりで見栄っ張りのこの初老の男は、 徹底的
にいじめられる。その存在感は主人公たちの光を日食しかねないほど大きくて、イ
ギリスでも必ず名優が演じる役どころだ。                              
 「十二夜」のクライマックスは、この執事が笑い者にされる場面にあって、そこ
で登場するのが黄色い靴下なのだ。私たちは、この喜劇の設定をユーゴスラビアか
ら仙台藩に移し変えて、マルヴォーリオは麿坊呂(まろぼうりょ)になった。が、
靴下を足袋に変えただけでは、横のものを縦にしただけという風でさっぱり面白く
ない。日本のシェイクスピア演出の歴史を調べてみたが、黄色い靴下のまんまがほ
とんどだ。          
 えぇいッ、こうなったらイギリス人に聞くしかねえべと思ったら、気がつけばロ
ンドンにいた(どこでもドアがあればいいなといつも思うが、10年前に比べれば航
空運賃が安くなって、イギリスもほんとに近くなった)。着いた夕方に、ロンドン
のタウン情報誌「タイム・アウト」を見ると、「今夜、ヤング・ビック劇場にて聾
唖者のための『十二夜』上演」とある。こりゃいいぞと私は早速劇場に走った。                
 手話通訳付きの珍しいシェイクスピアで、芝居よりも通訳の表情とジェスチャー
の見事さに私はべ口を巻いたが、 議論の時間になってから、 私は役者と観客にこ
んな質問をした。「みなさんは黄色い靴下のところで声を出して笑われていました
ね。私は日本人なんですが、実のところさっぱり笑えないんです。一体どこがおか
しいんでしょうか?」。 
 私のなんとも素朴な問いに対して、 役者たちは一瞬、 複雑微妙な表情をして声
を出さずに笑い、 聾唖者の観客は、通訳の仕種を見たあとに溜息に近い声をもらし
た。 が、誰もその質問に答えようとはしなかった。 すると、 私のそばに座ってい
た耳の聞こえるおばさんが、 私に囁くようにこう言った。「このシーンではね、
ともかく笑うことになってるのよ」。
 この言葉を聞いた瞬間に私は目からウロコがひらひらと落ちていくのを感じた。
そうして生まれたのが、なぜか安来節にのって踊るドジョウ掬いの格好をした麿坊
呂であった。
                                     (つづく)

朝日ウィル 1999年9月21日号より