下館和巳
第二幕
「松島湾の夏の夜の夢」
プロフィール
1955年、塩竃市生まれ。
国際基督教大学・大学院
卒業。英国留学を経て東
北学院大学教養学部教
授。比較演劇選考。シェ
イクスピア・カンパニー
主宰
1995年の晩夏、私たちの劇団の旗揚げ公演となった、 「ロミオとジュリエット」を終えて、 寄せられた
500人ほどの方々の感想を読んでいると、 ひとりの観客の呟きのようなひと言「なんでイタリアのヴェロー
ナが舞台なのに東北弁なんだろう?」が目に飛び込んできた。
確かにその通りだが、この観客の疑問をつきつめていくと、「どうして登場人物の瞳はみんな黒いんだろ
う?仕種がまるで日本的なんだろう?」という風に、リアリズムの袋小路に迷い込んでしまうことになる。
シェイクスピアだって、 そういう意味ではかなりいい加減だった。 デンンマーク王子ハムレットも、エ
ジプト女王クレオパトラも、 ヴェニスの貴婦人ポーシャも英語を話し、衣装もイギリスのものだったから
だ。
とはいえその素朴な疑問が2作日の「夏の夜の夢」に与えたインパクトはディープであった。 この美しい
喜劇の舞台は、アテネの街と森。そこで活躍するのは、ギリシャ人の恋人たち、芥子の実や蜘蛛の巣の妖精
たち、または鋳( い )かけ屋やオルガン修繕師だ。そして妖精の歌う歌が劇全体に幻想的なイメージを漂
わせる。だが、脚本を書き始める段階で思い屈した。なぜか?それは、妖精も鋳かけ屋も見たことがないか
らだ。
そんな時、 国際学会に参加するためにバリ島に行くことになった。 夜、 南アジアの匂いにゾクゾクし、
野性的なケチヤ・ダンスに血が騒いだ。熱い風に吹かれクタの浜辺を歩いていると、海の向こうから「エン
ヤードット、エンヤードット、松島あぁの・・・」 という歌が聞こえたような気がした。 その途端、イン
ドネシアから私の魂がフィーッと飛び上がって、気がつけば眼下に、 牡鹿半島が、網地島が、 茫洋と拡が
る仙台湾が、無数の島を抱く松島湾が見える。なぜか、クジラに跨って笑う河童の姿もあった。
まるでくす玉が割れたように、イメージがドッと流れだす。アテネの森は松島湾だ。とすると妖精はカキ、
ワカメ、アワビ。アテネの街の職人は塩竃(シオーモ)の商店街の魚屋に酒屋にペンキ屋。パックはカッパ
( 音もキャラクターもぴったり )、機屋のボトムが変身するロバは? ちょうちんアンコウ! グロテスクだ。
それもちっちゃな提灯を頭じゃなくて手につけるとユーモラスだ。 いいぞ。 いいぞ。 衣装は全部バリ島直
輸入の生地で作り、舞台装置は、でっけなでっけなホヤひとつ。 これで決まりだっちゃ。
このバリ風松島湾の味の「夏の夜の夢」なら東北弁でもおかしくない、と自信を持った。
(つづく)
朝日ウィル 1999年8月31日号より