「これからのシェイクスピア・カンパニー 」 鹿又正義 (2011.5.18)
震災の影響
地震だけでなく津波の被害も受け、家や家族、親戚友人、仕事を一瞬にして失い、そしていつ終わるか分からない避難生活をしている方々は、まことに筆舌に尽く しがたい苦痛をお察しいたします。そして一見たいして被害がないようでも、心に大きな傷をうけ、毎日のように余震に耐え、これからの人生をどう生きていったらいいのか、途方にくれているという感じをみなさんお持ちだろうと思います。そして私たちの東北は見た目も中身も変わってしまった。
シェイクスピア劇について
今、 私たちの上演してきたシェイクスピアの劇を読み返しています。大学の時にシェイクスピアを少し勉強した程度の知識と、貧弱な英語力でなんとかかんとかやっているという感じです。とても下館先生のようにはいきません。それでも日々シェイクスピア作品と向き合うという機会を与えていただきました。それで改めて 感じたことは、約400年前に地球の裏側で作られた物語がいかに生き生きと人間の真実を描いているのか、ということです。
こんなにも時代や社会の状況が違うのにです。これは驚きでした。私たちは休止期間を含めて20年近くシェイクスピア作品を上演してきました。それは間違いで はなかったと自信を持って言えます。私たちは今現在いろいろな状況の変化を抱えて苦しんでいます。それだからこそなおさらシェイクスピア作品を東北で上演 することが大切なのではないでしょうか。
また、シェイクスピアの作品ではないですが、私たちが以前に上演したシングの『海へ騎りゆくものたち』は私たちの心をうちます。また再演したい作品のひとつです。
標準語と東北弁
カ ンパニーのシェイクスピアは御存じのとおり方言を用いています。そういう中で東北地方とその言葉、中央政府とその言葉について考えています。長い間、もし かすると日本の歴史が始まってから、中央政府と東北地方は従属の関係がありました。特に戦後は、農作物に関しては八郎潟を強制的に埋め立てられました。労 働 力は集団就職で中央政府に提供しました。象徴的なのは原発の問題です。なぜ東京電力の原発が福島にあるのか。もっと言えば原発の廃棄物はなぜ青森に集められるのか。言葉に関してもそのとおりです。東北弁に関して差別的な笑いの種になっていました。これは否定できない部分だと思います。しかし3.11を境に 日本人の東 北地方に対する感覚が変わったような気がします。東北人は日本人の美徳を色濃く兼ねそなえた尊敬すべき人種である、と。
差別的な感覚をなくして、東北地方を見直すとなんとすばらしいところでしょう。自然は豊かで、食べ物もおいしく、人情も厚い。ついでに温泉も豊富です。
確 かに私たちは今現在、いろいろな問題を抱えて生きております。震災後は特にそう感じるのですが、生きることの根本で大きな変化があったかというとそうでは ないような気がします。そうしたことが顕在化したのです。震災を契機にいろいろな価値観の変化を感じますが、だからこそ、それぞれの足元を見つめるといい の ではないかと思います。今はまだ途方に暮れるときでありますが、そのうちまた一歩を踏み出す時、見つめた足元からその一歩が踏み出せることでしょう。