めぐりあい
シェイクスピア・カンパニー
主宰 下館和巳
私たちの『オセロ』は、2008年に私が原作を読み始めた時に始まり、2009年の北海道への取材の旅の途中、偶然、弟子屈のチセ(アイヌの茅葺の家)で日川清さんに出会うことで、アイヌ民族を主人公とした『旺征露』になった。舞台は道東。時は仙台藩士が北方警備にあたっていた江戸末期。
しかし、東日本大震災という大きな力が、『旺征露』が津軽海峡を渡って札幌に行くことを阻んだ。札幌公演が予定されていたのは、2011年3月20日だったからだ。私たちは行く道を閉ざされて、別な道を歩き始めた。そして、大道具も照明も捨てて、甚大な被害を被った三陸の小さな湊を巡った。心に掲げていたのは「おむすびとタクアンふたきれのような舞台」。小学校の保健室や教室を劇場にした十畳間のシェイクスピアを創りながら学んだのは、「たとえ悲劇でも軽やかさがないとダメ、そして長くっちゃダメ」ということだった。
2016年6月、旅の終わりを待っていたかのように英日・日英国際翻訳会議から声がかかって、私たちは仙台で開催された国際大会で四大悲劇の名場面を上演した。大好評だった。そこでお蔵入りになった『旺征露』再演への依頼を受けた。私は、今のアイヌ民族を学ぶ旅を始めた。
しかし、どうにもうまくいかない。私は、『旺征露』はやはり眠らせたままにしたほうがいいと思い始めていた翌年1月のある日、初演の脚本を監修していただいた榎森進先生に会った。初心に帰ろうと思ったのだ。7年ぶりに再会した先生は、2月に札幌で開かれるある会に私を誘ってくれた。私はためらうことなくお供をさせていただいた。その会で臨席したのがアイヌ協会の阿部一司さんだった。阿部さんは、迷走している『旺征露』の話に同情してくださって、その場で秋辺デボさんに電話を入れてくれた。秋辺さんは阿寒湖在住だが、たまたま札幌にいて、翌日会ってくれることになった。
秋辺さんの前で私は、卒業論文の口頭試問を受けている学生のようだったと思う。人生であんなに緊張したことはない。二か月後私は、阿寒湖の秋辺さんの家の前に立っていた。そして、その家の斜め向いの家の看板「日川民芸店」を見てめまいがした。子供のように店に駆け込むと、あの日川清さんがいた。私は泣きだしそうになった。そして、私たちの『オセロ』の円が閉じて、新しい次元の円が始まると確信した。
秋辺さんと踊り手の5人が加わった合同リハーサルは、鳥肌の立つような素晴らしい時間だったと感じたのは私だけではないと思う。『旺征露』に魂が吹きこまれたような気がした。秋辺さんが呟いた、「今日は。カムイがいるよ」。その時、私はこの不思議な『旺征露』のことを運命のように思った。カムイは、私たちが秋辺デボさんにめぐりあうまで、『旺征露』を北の大地で上演することを許さなかったのだ。今、10年の時を経てようやくその時が来たのだ。
演出ノート
秋辺デボ
最初に同じアイヌの友人から話を聞いた時、正直「面倒臭い」と感じた。しかし友人の紹介をその場で断ることも出来ず、とりあえず会ってみようと。会ってみると下館さんは一生懸命だった。そしてなんだかんだ話を聞いて脚本に口を出している内に、「これはデボさん演出だよ!」と下館さんが勝手に決めてしまった。当初は北海道と仙台ということで、シェイクスピア・カンパニーの実態もよく分からなかったし作品に期待もしていなかった。だから、私自身せいぜい小道具と所作等アイヌらしさについてのアドバイスと考えていたのだが、気付けば演出もやることになっていた。
下館さんの話しか知らない私は、実はシェイクスピア・カンパニーの芝居は身内感が強いのではないかという懸念を抱いていた。しかし、稽古を見た私は安心した。舞台の熟度が予想以上だったのである。アイヌの踊り子も私が考えていた以上によい働きをしてくれた。踊り子は同じ阿寒湖ではないものの、旧知の早坂ユカさんが集めてくれたメンバーで、「表現する」ということを理解してくれるメンバーだったことがまことに幸いである。私は稽古を見る前にはイメージを持っていなかったが、合同稽古を見てその場で判断して積極的にアイヌの表現を取り入れた。シェイクスピア・カンパニーの役者たちもみんな素直で演出のしにくさを感じることもなかった。ただ一点だけ注意したことは、共同演出ということで、役者に伝える前に演出グループで方向性をすり合わせることである。
一般にシェイクスピアのような余所の作品を扱う場合、名作を尊重するあまり往々にして消化不良を起こすことが多い。しかし、今回の『アイヌオセロ』は東北弁であることでヨーロッパ生まれのシェイクスピアをきちんと消化できた舞台になっていると感じる。高尚という価値観を持ち込むこともなく、借り物を一旦粉砕することで人間スケールに則った舞台になっている。アイヌの私からすれば、日本人というのは異民族との付き合い方を知らない民族で、異民族との関係を想像する事は出来ても理解する事は出来ないと思っている。それが日本人のすぐ隣にいる、まさにオセロと同じ立ち位置のアイヌを持ち込むことで作品にリアル感が増し、原作に漂う異民族同士の微妙な軋轢が表現されている。これは時代設定とアイヌを持ち込むというアイデアがもたらした結果に他ならない。
我々アイヌが和人とコラボレーションするということは多くないが、期待することは同じで、観た人が面白いと思ってもらうこと、それだけである。
秋辺デボ
1960年阿寒湖温泉生まれのアイヌ民族。
民芸店を経営しながら阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事を務めるほか、ユーカラ劇脚本・演出家、ロックバンドの歌手、アイヌ舞踏家、高校『アイヌ学』臨時教員、映画『許されざる者』(2013 年)には俳優として出演。枠に囚われることのない複数の顔を持つ。
今回は「東北弁のシェイクスピア」との共同制作に挑み、四大悲劇の一つ『オセロ』の脚本、演出、プロデュースの全てに関わる。
キャスト
役名(ふりがな) ※役柄 | 原作名 | 役者名 |
旺征露(おせろ) ※仙台藩エトロフ脇陣屋筆頭御備頭・アイヌ |
オセロ |
犾守勇 |
貞珠真(でずま) ※草刈番匠の娘 |
デズデモーナ | 石田愛 |
氏家英之進(うじいえひでのしん) ※仙台藩ネモロ脇陣屋筆頭御備頭 |
ヴェニス公国大公 | 香田志麻 |
草刈番匠(くさかりばんしょう) ※仙台藩ネモロ脇陣屋御備頭 |
ブラバンショー | 加藤捺紀 |
栗村尾江(くりむらびこう) ※仙台藩ネモロ脇陣屋付奉行 |
ロドヴィーコ | 中野莉嘉 |
白河華士郎(しらかわかしろう) ※仙台藩エトロフ脇陣屋付奉行 |
キャシオ | ササキけんじ |
井射矢吾(いいやご) ※仙台藩エトロフ脇陣屋付旗持 |
イアゴー |
水戸貴文 |
驢駄狸吾(ろだりご) ※クシロの網元の子息 |
ローダリーゴ | 及川寛江 |
門太納(もんたのう) ※仙台藩エトロフ脇陣屋前筆頭御備頭 |
モンターノ | 加藤捺紀 |
トンクル ※門太納の従者・アイヌ |
―――― | 藤井優 |
恵美利亜(えみりあ) ※井射矢吾の妻 |
エミリア | 増田寛子 |
媚杏香(びあんか) ※白河華士郎の情婦・アイヌ |
ビアンカ | 千葉絵里奈 |
明宣次郎(めいせんじろう) ※ネモロ脇陣屋三番隊目付 |
伝令 |
藤井優 |
諸岩伝助(もろいわでんすけ)
※エトロフ脇陣屋一番隊勘定人 |
伝令 | 中野莉嘉 |
【踊り子】
舞踏集団「ピリカプ」
早坂ユカ、新谷由美子、早坂由似、宮川佳那、澤井和彦
スタッフ
脚本 | 下館和巳 渡邉欣嗣 |
脚本構想 | 下館和巳 丸山修身 鹿又正義 菅原博英 |
共同演出 | 秋辺デボ 下館和巳 |
監修 | 榎森進(アイヌ民族史研究科) 秋辺デボ(ユーカラ劇脚本演出) |
制作 | 梶原茂弘 渡邉欣嗣 千坂知晃 |
制作協力 | 阿部路子 磯干健 菅ノ又達 宝木幸人(農業ボーイ雷斗) 高田純(盛岡温古堂) 伊藤敏郎(盛岡 居酒屋お茶さい) |
音楽・音響 | 橋元成朋 |
照明 | 松崎太郎 柴成美 |
映像 | 庄子陽 千坂知晃 |
ポスターデザイン | 庄子陽 |
フォトグラフ・記録 | 藤野正義 千坂知晃 |
小道具 | 犾守勇 水戸貴文 藤井優 ササキけんじ 両國浩一 |
衣装 | 石田愛 千葉絵里奈 中野莉嘉 増田寛子 香田志麻 |
メイク | 及川寛江 加藤捺紀 香田志麻 |
プログラム編集 | 千葉絵里奈 中野莉嘉 増田寛子 ササキけんじ 千坂知晃 |
会場 | 梶原祥子 シェイクスピア・カンパニーOB会 |
SNS・HP | 加藤捺紀 藤井優 ササキけんじ 千坂知晃 |
プレスマネージャー | 浅見典彦 |
ダイレクティングアドバイザー | 両國浩一 |
スーパーバイザー | 大平常元 |