日記
更新日:2012.8.17
主宰 下館和巳
自分の中で一番長く続いているのはなんだろう? 日記だろう。この夏中学3年生の長女宇未の家庭教師をするようになってから、宇未と同じ頃一体自分は何を考えていたんだろう?と思うようになって、一番古い日記を取り出してその最初の一ページを開くと、1970年10月26日とあって「自転車を盗まれた。とても反省することが多くなったので、日記を書くことにした」と健気に記している。
中身は、無闇矢鱈に挿し絵が多く、幼稚すぎて笑ってしまうのだけれど、成績はさておいてどうやら一生懸命勉強している風ではある。この頃北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』にいたく感動していたようで、映画や文学への言及も、それをきっかけに加速度的に増えている。自分が感じたことをともかく書きとめたくて仕方がない中学生だったようだ。
「大学入学のため1974年4月15日10:20AM仙台発東京行きの上り列車に乗る。車中にて小林多喜二の『蟹工船』読了」と記載された備忘録が誕生することで、日記は、日々の予定と感想を記す「備忘録」と心模様や睡眠中の夢を記す「日記」に分離して二冊になる。「備忘録」の文字は活字のように几帳面に書かれていて誰にも読めるが、「日記」はまるで新体操のリボンのような字で踊るように書かれていて他人には判読困難である。
備忘録には事実のみが、日記には虚と実が入り混じった物語が記録されている、と言っていい。なぜだろう? 活字のような字が思いがけずに事実だけを記させ、踊るような字によって自分の心の秘密を引き出されながら、どうしても自分のうち側と向き合うことができなくて実に嘘をまぶしているような気がする。でもそもそも、何かを書くということは創作への一歩かもしれない。