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初演 

更新日:2012.11.6

主宰 下館和巳

 

 松山町のお祭りにくるまれて、生まれたての『新・ロミオとジュリット』がきらきら輝いていました。30人定員の小さな一ノ蔵酒ミュージアムは、街の劇場では見かけない、じいちゃんばあちゃん、おんちゃんおばちゃん、やろっこあねっこで溢れてむせかえるようでした。

 30代から50代の役者たちは、10代から20代の新米の役者たちのみずみずしい力にひっぱられ、ひっぱられてにじみ出る30代から50代の役者たちの味に、若者たちのういういしさが更にひきだされて、いい舞台でした。あいなちゃっこい場所もいいもんだ、蚕みたいで、あったかくていいもんだと意外に思いながら、役者たちのひとつひとつのせりふに、しぐさに、歌に、うなずいたり、笑ったり、涙ぐんだりしてくれている、お客さんを見て、目に涙が滲んできました。そして、がんばって立ちあがってよかった、つらかったけど、ほんとによかった。今日まで続けてきてよかった、これからも行くよ、いつまでも行くよ、と心の中で思っていました。

 『オセロ』の後は『リア王』だったはずなのに、いつの間に『ロミオとジュリエット』になったんだろう?その夜の打ち上げは、僕の家に、出演者とスタッフみんな勢揃いで行われましたが、僕は恒例のラーメンをつくり、それに加えて近頃加わった鮨にぎり(その夜は鮪オンリー)をしながら考えていました。

 あれは、去年7月8日たまたま行くことになった、僕たちの劇団が産声をあげた福島県天栄村のブリティッシュ・ヒルズでのことでした。閑古鳥の鳴いている日本のイギリス村の大きな庭の真ん中に立っているシェイクスピアさんの像に僕は挨拶をしました。真夜中のことです。「1995年には、ほんとにお世話になりました。お陰様であれからなんとかまだ続いています。でも今は大変です」すると「まだ来てけだらいっちゃ」とシェイクスピアさんが仙台弁で申すのが聞こえたのです。僕の心の声ではなくて、ほんとに幻のような声。その夜はなぜかドキドキしながら眠り、翌朝目ざめた時に『新・ロミオとジュリエット』という言葉がくっきりと頭に浮かんでいました。

 それから仙台に戻って、まだ打ちひしがれていたみんなにその話をしたのです。芝居ができないことがわかっていた仲間たちも、できればしたいと思っていた仲間たちも、みんな目を浮かせて「いいなぁ」と声をそろえたのを覚えています。あの時、はじめて、崩れかかっていたカンパニーの心が立ったのです。