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イギリス日記#16~20 (2014.8.7~8.11)

 

 

イギリス日記#16

ロンドンに暮らしている。子供たちが寮にいる間どこにいようか?随分考えて結論がでたのは大分遅かった。なぜか?ケンブリッジもストラトフォードもあっちこっちにいるのも子供たちの学校のそばのコッテージもいい…と思案するうちに時間がたってしまったのだ。もちろん楽しい思案。ロンドンに決めたわけは3つ。そうらが体調を崩した時のことを考えるとロンドンがいいし、あっちこっちは子供にはだめ。ふたつめケンブリッジには友達が多くて夜が忙しくなるからだめ。やっぱりグローブ座の近くにいたい。そもそも僕はロンドンに暮らしたことがない。グローブ座で仕事をした夏は確かに住んではいたが、グローブ座の寮に籠もりきりでロンドンに住んでいた実感がない。ロンドンのどこがいいか?テムズ川が見えるところ?しかし、中心街はべらぼうに高く、ともかく見えるところはかなり中心から離れてしまう。バス一本で30分以内にリージェントストリートのカフェロイアル(オスカーワイルドがよくワインを飲んでいたバー)に着ける静かな、それも暖炉のあるリビングを持つ明るい光に溢れた…(笑)4人は泊まれる清潔なフラット。理想は具体的なほうがいいので、細かく条件をつけたら、物件が見つからない。があった。フルハム!ディープデンス・マンションという名前の建物の前に立つ。一見古びてボロい、が中身はステキ。ベッドルームがふたつ、モダンなキッチンとダイニングがひとつ、柔らかい日差しに包まれた上品な暖炉リビングとバスルームそして共有中庭。そうらとふたりきりで暮らすのは、初めてである。純ちゃんが一時帰国してまた戻るまでの一週間はふたりきりだから、緊張感がある。仙台ではそうらのそばにはいつも福祉の人がいてそうらの世話をしてくれているし、更にうみやはなが助けているので、私の出る幕はほとんどない。うみとそうらがそのことを、つまりパパとそうらだけになってパパが酔っ払うとそうらはどうなるの?と心配して、英国ナニー協会に依頼してメリーポピンズを雇うことになったが、スカイプ面接が難航、要するに私が難色を示して暗礁に乗り上げ、来週からということになる。ともかく、そうらとたったふたりのロンドンが始まった。目覚めて、イングリッシュブレックファーストをつくりナイフとフォークで食べお皿を洗い宿題をし今日着る洋服を選んで散歩に出かけ…手をつないで歩きながら、いつもは妹のはなに間をとられてお話しができないのだけれど、とっぷりお話しができる。昨日は、そうらとグローブ座で「アントニーとクレオパトラ」を見て、パブアンカーでビールを飲んで、ナショナルシアターまでいろんないろんな人とすれ違う度に感想を述べあって、しまいにはテムズ川の岸部に降りて川を眺めてぼんやりして、そうしてグローブ座の読書会!に参加。長くてかわいそうだったかな?疲れた、というので、タクシーでまっすぐ自宅に。タクシーでグローブ座から帰れる家に住む恍惚(笑)。肝心のお芝居は?劇評などクソ食らえだね。グローブ座に一歩足を踏み入れたその瞬間、蘇ったねぇ、前代未聞の悪戦苦闘の日々が。でも爽やかにいとおしかったな、空間が。あーッ!ってね。大好きグローブ座。それだけ。ちなみにカンパニーはクレオパトラやるんですか?やります。構想はずっと前からなぜかあるのです。プロダクションについてひとつだけ苦言。舞台をいじり過ぎていませんか?11年前、私は耳が痛くなるぼど、そのまんまで演出をと言われたのだもの。読書会は役者がひとり入って原文は役者が読むという形式。ワナメカーさんのビジョンを後継者たちは一生懸命守ってるなあ、えらい。ただ、舞台制作は試行錯誤なんだろうね。変わることは努力の跡、という言葉があるしね。英国にいると僕は年をとらない。時間が止まるから。(2014.8.7)

 

 

イギリス日記#17

11年ぶりにロンドンの街を歩いていて、日本人が少ないなと思った。バーバリー本店で聞いてみると、中国人はたくさん来ると。そうなのだ。これはウナギ上りの中国経済を象徴している。がしかし、ラーメン屋と寿司屋が増えた。日本人はポンドがみるみる高くなってイギリス旅行を敬遠する一方、世界遺産の日本食がはびこっている。ロンドンはイギリスよりも景気がよく世界中からの観光客で潤っているのじゃないだろうか?もの凄い人だもの。イギリスに着いたばかりのある日、娘たちとロンドンの街を歩いていて、パパきれいな人がいっぱい、どうして日本とこんなにちがうの?と。確かに。日本人の女性も美しい。が、ロンドンの街にはヨーロッパ・アジア・アフリカから人がくる、多彩さだね。それにしてもうちの娘たちは写真家の娘だけあってなんだか美女と美男の話ばかりしている。そういえば二十歳の私もなんだか困った(笑)記憶がある、あんまり美しい人が多かったからだと思う。のけぞるような美女はしかしイギリスではなくてイタリアや北欧やインドの人である。そうらは体力がついてきたと昨日思った。時々ベンチに腰を降ろして水分をとると、また元気に歩き出すもの。グローブ座でウォリック大教授の話を聞く。テーマは舞台と映画。読書会のヒーリー教授と違ってハワードさんにはサービス精神があるから聴き手を眠らせない。声がみんなに届くしみんなの顔をちゃんと見ている。その証拠にそうらが一時間ぐずらずにいた。アントニーとクレオパトラのラストシーンに絞った議論だったが、グローブ座では、実は共存が非常に難しいアカデミズムとアートが、前者が後者に寄り添う形で成り立っている。いいな。グローブ座はそうあらなければね。舞台上演期間中に、同じ空間で講義や読書会やワークショップが、さりげなくある。イギリス人と演劇の関係は深いからな~。レベルがね、ちがうんだな。アントニーとクレオパトラを見ていて感じたことを、読書会や講義を通してまた考える。お芝居のすごさは、同じ空間と時間を、役者と観客が共有していることなんだね。わざわざ来てくれたお客さんのために目の前で創って食べてもらう料理みたいなもの。贅沢だね。でもアートは贅沢じゃなきゃ、あふれるような贅沢感、それが心を育むのだものね。(2014.8.8)

 
 

イギリス日記#18

そうらは疲れたのかなかなか起きてこない。熱はない。今日はごはんは食べないで寝てる?と聞くと、首を横にふる。結局どっぶりと、身の厚いベーコン目玉焼きマッシュルームとトマトのオリーブオイル炒めブラウンビーンズとスープとブラウンブレッドトーストをペロリと食べて、出かけた。またもやグローブ座。でも時間が迫っているのでタクシーに乗る。タクシーでおよそ30分。チップを含めておよそ6000円。そうらの体力を考えれば致し方ない。運転手さんいかにもベテラン。何年になりますか?と聞くと、なんと50年。今年で70歳だからもう引退だと。一週間に何回働くの?と聞くと、7回。でも気分でやめるからねと。俺写真家なんだ、海の底のね、だから太平洋インド洋カリブ海に行くと3ヶ月仕事休んじゃうな。思い切り休むのさ、そうすっとさ中途半端な休みなんかいらねえな。毎日泳いでいい気持ちになって後はひたすら走るのや。ついこの間個展やったばっかしだよ。どうりでなかなか品格のある運転手さんだと思った。今日はリア王。黒人リア、なんて書くのはやっぱり日本人くらいかな。リアが黒人なのに、三人娘はなんでホワイトなんだなんて野暮なこというのも日本人だ。単一民族日本人の特殊性をいたるところで感じる。僕たちはだからちがうものを容易に受け入れない。うけいれていそうな顔はするが受け入れない。自由は大好きだが、小さな自由だ。際限がないと不安になる。島国だからね。いや、英国だってそうでしょ。ちがうんだなあ、国のできかたが。英国は侵略征服されっぱなしだものね。聖徳太子が中国に屈し、チンギス・ハンに屈し、アメリカに屈していたら、日本はイギリスみたいになっていたかも。でもね、これでいいんでしょ、と考えざるをえない。が、そう認めた上でなんとかしないと、と思う。立ち見で、いつも僕はこれが好き、世界で立ち見ができる唯一の劇場だもの、リアを見ながら思う。僕は本の中のシェイクスピアが好きなんじゃない、と。観客に見られている役者が好きなんだ、と。役者と観客の、なんと言ったらいいかなラポーつまりコミュニケーションかな、それにワクワクする。そしてそれを見事に実現している空間がこのグローブ座なんだ。芝居通もいるが、8割は素人観客だ。それがいい。イギリスの観客は厳しいが、根底に芝居は楽しむものという芝居生活感覚みたいなものがある、芝居は特別なものじゃないのね、フィッシュアンドチップスかな。日本でラーメンか。あ~ラーメン食べたくなってきた。(2014.8.9)

 
 

イギリス日記#19

タクシーで思い出した手に汗握る一時間。1977年9月私はロンドンのはずれの安ホテルの玄関にスーツケースと今もあるブラウンの大きな革の鞄と小さな鞄とおみやげの袋を重ねてタクシーを待っていた。確かリバプール駅発10時8分のボートトレインつまり船に接続する列車に乗る予定だった。私は初めてのイギリス留学を終える頃、帰るのが嫌になるほどイギリスが好きになっていたが、滞在は予定の一年を越えて一年半になろうとしていたから、もう帰らなければならなかった。そこで幼稚な考えなのだけれど、できるだけゆっくりイギリスを離れようと思って、まず飛行機をやめて、ロシア鉄道とナホトカ航路という道をとった。ロンドンの旅行会社がロンドンベルギーポーランドモスクワハバロフスクナホトカヨコハマと詳細なプランをたててくれて、実際費用も飛行機の半額だったから、私は両親に懇願の手紙を書いてなんとか許可を得た。タクシーは10数分遅れて到着。イギリス人には珍しくアイアムソーリーと謝られた。途中まではスムースだった。が、ビッグベンを右上に見たあたりで大渋滞に遭遇。黒塗りオースティンは止まった。運転手は若い。後ろを一切振り向かない。大丈夫ですか?と不安げに問うと微動だにせずに、イエスサー。リバプール駅が見えた時発車五分前。万事休すだ、が彼はプラットフォームまで乗り込んだ。しかし、駅員のイキのいい合い図の声と共にガッチャンと列車は走り出した。運転手に、降りて飛び乗ってと言われるままにパスポートや大事なものが入った小さな鞄だけを握りしめて飛び乗ると、彼は動き出した列車に荷物を次々と放り込んだ。私は大声でサンキューヴェリーマッチ!と言った瞬間料金を払っていないことを思い出して、ジェスチャーで示すと、ノープロブレン!と言っているがわかった。私は涙が流れてきたのを覚えている。イギリスを離れる涙と、名も知らぬ紳士的なドライバーへの感謝の涙と、この列車に乗り遅れたならばすべての旅程がドミノ倒しでダメになる恐れから解放された安堵の涙と、三つの涙が絡まった涙を流して目を真っ赤にしていると、私の三つの荷物を抱えた駅員が、泣かないでちゃんと荷物は無事だから、と。僕はロンドンに行ってタクシーに乗る度に、あの時の高潔なドライバーを思い出す。だからついチップははずんでしまう。(2014.8.10)

 

 

イギリス日記#20

日曜日。歩いていると雨になり、霧雨から土砂降りになる。そうらにカッパをきせる。バスでピカデリーサーカスへ行きたいのだけれど、なかなか来ず40分待つ。その間、そうらとおしゃべり。ロンドンに来てからはそうらとふたりだけの生活になった。仙台では福祉の方々が登下校にぴったり付き添って家でもそうで、こんなにそうらと向き合ったことはない。朝から晩までずっと一緒で、いろんなことをふたりでしていると今まで知らなかったそうらを発見してうれしくなった。そうらはよく笑う。ころころ笑う。そして一緒にいるとほんとうに楽しい。世話女房みたいに気がつくしね。パパ、カメラは?も~うまったく困るんだから、みたいに。イギリスまで来ないとそうらを再発見できなかったなんて。それにしても塞翁が馬だと思う。たったふたりになるロンドンに自信がもてないので、英国ナニー協会にそうらに付いてくれる人を探してもらおうとした。日本でスカイプ面接をしたのはギリシャ人で、やさしそうな人だったが英語わかりにくい。うみとはなはボーディングスクールにいるわけで、入れないそうらにはせめてイギリス人の家庭教師をと思った。ところが、イギリスに着いてからも探し続けてたが、ナニー協会に登録しているイギリス人が実は非常に少ないことがわかった。ようやく見つかってヘレナは英国国籍の黒人で明日から登場。この一週間は劇場がそうらの先生になった。そうらが長いお芝居でも熱心に見ていることがわかったから、大発見。イギリスの俳優の英語を浴びるように聞いているのが一番そうらにはいい。昨日はリリック劇場で子供向けのパントマイムー無言劇ではなくてーを見たけれど、シェイクスピアより面白かったようで(笑)、帰りの地下鉄の中でずっと、今日はおもしろかったねパパと、言い続けていた。はからずもだ。ロンドンを歩いていて、実は気がついたことがある。まともなイギリス英語を耳にすることが少ないのだ。バスの運転手もバスの隣に座ってそうらに親切にしてくれた若い女性もレストランの店員も近所の雑貨屋の店員も…要するに移民だらけだ、ということか?昨晩我が家に招いた友人の女性は英国人と結婚して10年になるのだけれど、この5年の間にロンドンは外人労働者で溢れだして プロパーな英語を話すイギリス人に出会うことが少ないと言っていたから納得。彼女はむしろイギリス人が海外に流れていると言う。子供たちの寮はロシア人と中国人が多く、不動産を買い占めているのも、ロシア中国に加えてアラブ系だ。イギリス人は田舎に確実にいる、だから今やイギリスの真髄はいよいよロンドンではなくて地方の街や田舎にある。グローブ座。頭にインターナショナルがついているくらいですからね、外人観光客が7割と言ってもよい。ロンドンでどこに行ったら一体イギリス人会えるの? メイジャーではないふつうのお芝居を見に行くといますよ。そうらと行ったパントマイムなんかイギリス人ファミリーがびっしり。あちこちからブリティッシュ英語の香りが立ちのぼるのが聞こえる。そしてもうひとつはパブだ。つまりロンドンに来たら、ともかくマイナーな劇を見てなんつうこともないパブに行くと、あーイギリス!としみじみ思うということだ。(2014.8.11)