再びシェイクスピアの国で

~ 総本山へ乗り込む ~ 

 

 

(10) 2003年 9月26日掲載   

勇気がわいた友人の言葉

ロンドングローブ座( グローブ座提供)

 

心を覆う素朴な疑問

 去年の9月、グローブ座で演出の仕事を終えて、家族の待っているケンブリッジに帰ってから、私は悶々(もんもん)とした日々 を過ごしていた。
 それは、17世紀の英語で書かれた脚本だけをより所にしながら、百戦錬磨の英米の俳優を相手に、一本の芝居を一 ヶ月余りで、それもロンドンの観客に向かって創っていくという仕事は、私の身の丈をはるかに超えたものだったから である。公演は成功した。が、私は壊れたのだ。「日本人にシェイクスピアがわかるのだろうか?」という素朴な疑問 に襲われ始めた自分がいた。
 シェイクスピアをやり続けるか、ここでやめてしまうか…とさえ考え始めていたころ、あの苦悶した夏に、ここか ら新たなシェイクスピアを始めるぞ、という決意をもて、テムズ河畔に埋めた亡き父の遺灰のことを思い出していた。  そして、私は気がつけば、12月の父の誕生日に、3ヶ月ぶりに、恐る恐る、テムズ川にかかるミレニアム橋を渡っ て、グローブ座に近づいていた。意外に小さな木造の劇場を見上げる。私の心に覆いかぶさっていた大きな疑問が消え てしまったわけではなかったが、「これからも創りつづけていこう」と、強く思った。
 あれから、私はケンブリッジでダンテを学ぶ一方で、ただひたすらありとあらゆるシェイクスピアの舞台を見始めた。


黒澤映画に満足せず
 
 イギリスを離れるべく準備をし始めていた8月のある日の夜、10年来の友人ジャティンダ・ヴァーマと一献傾けた。 彼は、今、非英語圏の演出家としてイギリスで最も注目されているインド人演出家だ。
 その夜の彼の関心事はシェイクスピア・カンパニーの第7作目の舞台『ハムレット』で、乾杯をするや否や「カズミ、 ハムレットの構想を聞かせてほしい」と、目を輝かせた。
 私はまず、日本のあまたのシェイクスピアで、翻案という難題に果敢に挑んで成功を収めている人物は黒澤明一人で あること、そしてその黒澤は『マクベス』から『蜘蛛の巣城』、『リア王』から『乱』という傑作を生み出してはいる が、私個人は『ハムレット』を素材とした映画(『悪い奴ほどよく眠る』)には、満足していないことを述べた。
 すると、彼は「それじゃ、カズミ達は『ハムレット』をどうするんだ?」とすごんでくる。
 西洋というものを突然受け入れざるを得なかった日本の置かれていた状況にこそ、この『ハムレット』という、一見個 人の苦悩の悲劇ではあるけれども実は限りなく政治的なドラマが、展開されるにふさわしいと、今、思い始めているこ とを語った。
 私が、『ハムレット』の翻案構想について言葉にしたのは、この時が初めてであった。だから、もちろん、確信をも った言い方ではなく、幾度もためらいながら、語りつつ自分の考えを確かめるような風であったと思う。


感情を初めて言葉に

 インド人としてのアイデンティティーを、ロンドンの演劇界という極めてテンションの高い世界で見つめながら、闘い 模索しつづけているジャティンダが目の前にいたからこそ、私が初めて言葉にできた思考と感情があった。
 私が、紅潮した顔で不安げに語り終えると、にっこり微笑(ほほえ)んでジャティンダが言った。「カズミ、できたね。もうでき てるよ。僕は君達の東北の『ハムレット』が絶対に見たい!」
 私は、彼のその声を聞きながら、本当に嬉しかった。そしてこの時初めて、日本の仲間達と新しい『ハムレット』に向 かう勇気がわいた。