再びシェイクスピアの国で

~ 総本山へ乗り込む ~ 

 

 

(8) 2003年 7月 4日掲載   

 内側に違うものへの憧れ

外面はクールなイギリス人だが…

 

安く行ける欧州諸国

 物価の高いイギリスで、驚くほど安いものがある。それは、ヨーロッパ諸国向けの航空運賃だ。日時にうるさくなければ、 パリもコペンハーゲンもミュンヘンもローマも往復一万円でおつりがくる。
 ヨーロッパでも、とりわけイギリス人に人気があるのはイタリアである。しかし、この人気が今に始まったことではな いことは、イギリス文学の父と呼ばれる14世紀のチョーサーから現代に至るまで、あまたのイギリスの文人達が示して きたイタリアへの強い憧憬(しょうけい)からも知ることができる。
 シェイクスピアもまたその一人である。その証拠に、彼の35編の戯曲のうち、イタリアを舞台に、或いはイタリア の物語を基にして書かれたものは14編もある。誰もが知る作品としては、『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』 『オセロ』という名前が浮かぶだろう。
 シェイクスピアがイタリアに行った記録も、行かなかった記録もないが、16世紀のイギリスでは、次々とイタリアの本 が英訳され、ロンドンの酒場には世界を旅した男たちが集まっていた。海千山千の商人や冒険家達にまじりながら、イタリ アのロマンティックな恋物語や荒唐無稽(こうとうむけい)の話を貪(むさぼ)るように聞いていたシェイクスピアがいた にちがいない。


喜怒哀楽 表に出さず

 イギリス人のイタリア好きの根っこには、違うものへの憧(あこが)れがあるのではないかと思う。イギリス人は概してクールであ る。喜怒哀楽の感情を表に出すことを、むしろ恥ずかしいと思っている。私はグローブ座の演出の仕事で幾度か感情的な議 論をしたが、イギリス人が余りに冷静なので口論になることはついになかった。また、凍結した道路でジャグァー!と接触 事故を起こした時でさえ、相手のお兄さんはかなり頭にきたはずだろうに、その丁寧な言葉に、私は拍子抜けした覚えがある。


口調軽やかに思い出

 イタリアと一口に言っても、南と北ではだいぶ人の気質が違うが、とりわけ南の人達は、よく笑い、大声を出して怒り、愛 情表現も大きく豊がである。こちらの気を許させる人なつっこさがあって、ポーカーフェイスのイギリス人に比べて、見るか らに暖かい感じがする。
 日ごろお世話になっているパブの親爺(おやじ)も、電気屋のお兄さんも、女医さんも、隣のおばあちゃんも、私が「今度イタリアに 行くんですよ」と言うと、途端に目の色が地中海のようになって、それぞれのイタリアの思い出を語りだす。その口調は普段 と打って変わって軽やかで、あたかもカンツォーネが聞こえ、眩(まぶ)しいイタリアの青空が見えてきそうなのだ。
 イギリス人が、どうやら内側に熱いものをかかえながらクールなのは、このイギリスのどんよりと曇った空のせいなのかも しれない。