再びシェイクスピアの国で

~ 総本山へ乗り込む ~


 

(6) 2003年 4月25日掲載    

 母の日の寸劇に笑顔と涙

母の日のママと息子   撮影 中村ハルコ

 

別れ際にほほにキス

 イギリスの義務教育は5歳から始まる。だから、日本で幼稚園の年中組だった私の長女は、昨年9月から突然小学 生になった。娘の通っているのは生徒総数100人程の英国国教会の小さな小学校だ。
 授業は朝9時に始まる。生徒は母親に付き添われて登校してくるのが常で、別れ際に母親はまるで恋人に対するよ うに子供の耳もとに何か囁いて、ほおにキスをする。お弁当は持参してもいいが、登校した朝に申し込めばいいスク ールランチというものがあって、ありがたい。お弁当とは言っても、その中身はというとジャムを塗っただけの食パ ンにポテトチップスといったひどく簡単なもので、日本のお母さんがこしらえるいろいろなおかずにごはんといった、 手の込んだものとは大分異なる。
 終業時間は午後3時20分で、子供の出迎えには夫婦そろって来る親が少なくない。お父さんの仕事はどうなっている んだろうと思われるほどだ。教室の扉が開くと同時に、一列に並ばされた子供たちが、子羊のように次々とママとパパ のもとに駆け寄ってきて、親たちからキスを浴びる。
 学校の授業や行事には演劇的な要素が多い。クラスでは、生徒たちが週に一度自分のお気に入りのものを持ち寄って、 皆の前で一人一人発表する。「これは、おばあちゃんからいただいたテディベアで、トマスという名前です。くりくり した目が大好きです」という風に。クリスマスにはケンブリッジ大学の礼拝堂を舞台にした「キリスト降誕劇」の上演 があって、衣装はそれぞれの家庭で作る。ブック・デイには、ピーター・パンや不思議の国のアリスといった大好きな 本の主人公の格好で登校し、レッド・ノウズデイ(ピエロの赤い鼻に由来するようだが)には、赤いシャツ、靴下、リ ボンのように身体に赤いものをつけて行く。


自分のママに黄水仙

 イギリスの母の日は3月30日だが、その数日前の午後お母さんが学校の礼拝室に招かれて、生徒たちが数人のグループ ごとに創った寸劇を見せる。そこでは、子供たちの見たお母さんの姿が簡単なせりふと演技で描かれる。お掃除をするマ マ、お料理を作るママ、お説教をするママ、童話を読んでくれるママ…。そして一人一人一言ずつ大好きなママについて 述べる。その礼拝堂は、小さな暖かい劇場となって笑いにあふれる。最後に子供たちはそれぞれ自分のママのところに歩 み寄り、一輪のカーネーションならぬ黄水仙をプレゼントする。するとたちまち笑顔のママたちの瞳が涙に濡れる。


過不足なく感情表現

 イギリス人は決してお喋りではない。むしろシャイである。やはり日本と同じ島国の国民だと思う。しかし、彼らは、 とりわけ身内から一つ離れた人間関係の中で、自分の感情や考えというものを、言葉や表情を通して過不足なく表現する ことができるという点で、私たちよりすぐれていると思う。
 私たちは、自分たちの独自の文化を大切にすることと同時に、表現の方法というものを、小学生の段階から学ぶ必要が いよいよ火急になってきていると、しみじみ思う。それは、単に英語を話すことができるようになる、ということだけで はもちろんないだろう。