嫁の悲しみ

 

更新日:2015年1月8日

作家 丸山修身

 

 先日大晦日の夜、僕はビールを飲みながら、テレビ東京「年忘れ にっぽんの歌」という番組を見ていた。すると福島県浪江町出身の民謡歌手・原田直之が登場し、尺八の伴奏で『新相馬節』を歌った。相馬、という言葉でお分かりのように福島県の民謡で、こんな歌詞である。


    ハアー……ア……

    はるか彼方は相馬の空かよー なんだこうらよーと

    相馬恋しやー なつかしやー なんだこうらよーと

               (中略)

    ハアー……ア……

    ほろり涙で風呂たく嫁ごよー なんだこうらよーと

    煙いばかりじゃないらしい  なんだこうらよーと

               (後略)

    

 相馬地方の嫁が、どんな悲しいことがあったのか、風呂を焚きながら煙いふりをして忍び泣きしている。調べると、この民謡は戦後になって作られた。ということは、こういう現実が戦後も存在したということだ。でなければ、こういう歌は作られないし、人々が耳を傾けない。つまりテレビで流れることもない。

 僕は相馬民謡を聴きながら、ふっと「嫁の悲しみ」という言葉を思いついた。嫁の悲しみーその原因となった多くは、姑(しゅうとめ)、つまり夫の母親によるいびりであった。ことあるごとにちくちくと難癖をつけ、いじめるのである。

 

 もっと直截(ちょくさい)にそんな嫁いびりを唄った歌がある。津軽民謡『弥三郎節』である。江戸時代につくられたと伝えられるが、弥三郎という男に嫁いだ嫁の境涯を歌っている。数え歌形式で長いので、途中を飛ばして紹介する。


    四つァエー 夜草朝草欠かねども

    遅く戻れば えびられる これも弥三郎エー

    (夜も朝も、飼い馬に与える草を刈ることを忘れないが、遅く戻るといびられる)


    七つァエー なんぼ稼いでも働れェでも

    油こもつけさせぬ これも弥三郎エー

    (いくら働いて稼いでも、髪に油をつけることさえさせない)


    九つァエー ここの親だつァ みな鬼だ

    こだと覚ったら 誰ァ来べな これも弥三郎エー

    (ここの親たちは鬼だ。知っていたら誰が嫁にきただろう)


    十ァエー 隣知らずの牡丹(ぼたん)餅コ

    嫁さ食わせねで みな隠す これも弥三郎エー

    (こっそりとボタモチをつくって、嫁にだけ食わせず、隠してしまう)


    十三ァエー 十三(どこ)八方から 嫁もらても

    ここの婆様(ばさまー姑のこと)の 気に合わぬ これも弥三郎エー


 誰がいびっているかは歌われていないが、聴いている人はすぐ、それは弥三郎ではなく姑だと理解したはずである。


 嫁いびりーこれはかつての貧しかった農村の最も暗い部分であった。いや、農家だけでなく、都会の商家や勤め人の家庭にも存在したに違いない。ただ僕は山の農村で生まれ育ち、その現実を見知っているので、農村にしぼって書いているだけである。

 嫁の悲しみの原因として最も多かったのは、姑(しゅうとめ)、つまり夫の母親による虐めであった。若い娘さんに縁談が持ち上がった時、先ず考えるのは、向こうの姑が性格円満な良い人かどうかということだった。

 今の女性なら虐めにあっても黙っていないだろう。むしろ嫁さんの方がやり返して虐待するかも知れない。しかし昔は姑に逆らうなどということはとんでもないことで、理不尽だと思っても、ただひたすら黙って耐え忍ぶのみであった。そういう時代だったのである。

 大家族制度の下、男女平等はなかった。戦後、新憲法、新民法が施行された後も、戦前の家優先、長子相続の考え方は色濃く残っていた。法律は変わっても、古い因習はそう簡単には消えていくものではない。そのしわ寄せが一番いくのが、弱い立場の「家の嫁」であった。


 僕の隣の家でも、隣村に嫁いだ娘が、姑の嫁いびりにあってよく実家に逃げ帰ってきていた。三人の幼な児を連れ、自分が飼っていた山羊を引っ張って戻ってくるのが何とも哀れであった。そのいびりとは、僕が耳にした限りでは、おおよそ次のようなものであった。

 例えば、田んぼや畑に野良仕事に出て夕方帰ってくると、今日はどこまで仕事が進んだかと、毎日ねちねち訊くのだという。答えると、ああ、そこまでか、と呆れ驚く口調で言うのだそうだ。つまり、お前達はそんなに仕事ができないのか、自分達は昔もっと働いたものだ、とちくちくやる訳である。

 毎日これをやられると、よほど辛い気持ちになるらしい。気にしなければいいのだが、それが気になるのが嫁の立場というものである。この結果、嫁さんの方は次第に神経がおかしくなっていく。

 こういう場合、夫のタイプも大体決まっていた。自分の意見をはっきり言えない、影の薄い男である。体を張って妻を守るということをせず、おとなしく母親に従うのである。そういう時、なんという情けない男だろう、と僕は子供ながらに憤りとともに思ったものだ。

 離婚もあった。不幸になるために嫁いできたとしか思われない結婚もあった。地方を旅すると、「嫁が淵」と名がついた川の深みがあるが、それは昔、若い嫁さんが入水自殺した場所である。

 

 最後に、嫁いびりが生んだびっくりする事件を紹介する。これは戦前、実際に僕の村にあった話である。

 ある家で、山からどっさりとキノコを採ってきて食べた。おそらくジャガイモやゴボウ、ダイコンなどと一緒に大鍋で煮たに違いない。

 結果、どうなったか。嫁さんを除き、他の家族全員が死んでしまったのである。毒キノコだったのだ。姑が、こんなうまいものは嫁には食わせられないといって、嫁さんだけが食べなかったのだ。

 嫁いびりというと、僕はいつもこの話を思い出す。根性悪く人をいじめるものではない。それは結局我が身にはね返ってくる。

 「バチがあたる」という言葉を僕は信じている。