入学・人生の門出
更新日:2013年4月30日
作家 丸山修身
前回は「卒業」について書いたので、今回は「入学」である。僕が住むところは小学校に近いので(小金井市立前原小学校)、今年も両親に付き添われて多くの新入生が入学式に出掛けていくのを見た。4月8日、新緑のやわらかな木の葉が瑞々しい朝のことである。
ぴかぴかのランドセルを背負い、新調のものをきちっと着て、どの子も引き締まった顔をして、賢そうだ。体が小さいので、新品のランドセルがことさら大きく見え、ラジオを聞いていたら、この姿を「ランドセルに足が生えたよう」と形容した人がいて、なるほどなあ、と感じ入ったものだ。
手を握って登校していく親も正装である。東京は自分が生まれ育った豪雪の奥信濃に比べて季節感に乏しいが、僕は入学式の一日に、桜や菜の花よりも、もっと強く春の到来を感じる。
いったい親と手をつないで歩いていく新一年生たちは、心に何を思っているのだろう。まだ授業が始まっていない今、あのランドセルの中には何が入っているのだろう。僕は親子連れを微笑ましく眺めて、そんなことをしきりに考えた。
すると、なぜだか中桐雅夫の『母子草』という詩の一節がぽっと心に浮かんできた。
誰でも経験があるだろう、運動会で
子供たちが懸命に走っているのをみると
眼がうるむのだ、自分の子でもないのに、
ビリの子供の力走には涙が出てくるのだ
なぜこの詩が突然甦ったのか自分にもよく分からない。しかし想像するに、おそらく子供達の前途に待ち受ける、様々な辛いこと苦しいことを僕が考えるからに違いない。
今まではすべてに親の庇護(ひご)の下にあった。しかし新一年生となった今日からは、自力で歩いていかなければならないことが多くなる。つまり初めて人生に踏み出すといってよい。おそらく心中は、うれしいよりむしろ不安と緊張でいっぱいのはずだ。遠い過去を振り返ると、自分自身がそうであったから。まるで子ネズミが巣穴からちょっと顔を出して、おそるおそると外の世界を窺うかのような心境であった。
みんなそれぞれ希望を抱いて人生を踏み出す。よく世間では「夢を持て。そして努力すれば夢は必ずかなう」と言うが、そうはうまくことが運ばない。これを言うのは、才能に恵まれ、既に大きな成功をおさめた人達である。どんなに頑張っても、誰もがイチロウやダルビッシュ、香川真司や本田圭佑になれる訳ではない。僕も小学校時代、長嶋茂雄のようなプロ野球選手にならんと練習に明け暮れたが、中学二年生ぐらいになると、自分にはとても不可能だとはっきりと悟った。
ひどく気持ちが落ち込んで、友達がみんな自分よりもえらく感じられる時もきっとあるだろう。僕が中桐雅夫の詩をふっと思い出したのは、多分そんな挫折の瞬間を考えたからである。
ビリの子供の力走。みなさんも経験があるだろう。運動会のかけっこでは、先頭をさっそうと疾走する者より、最後尾を走る者に強く眼がいくものである。特にその表情をじっと見る。ビリではあっても、前を追っていく顔は真剣そのものだ。するとしびれたように感動して、後々まで心に残る。中桐雅夫の詩は、そんな心理を見事に捉えていると僕は思う。
とここまで書いてきて、僕はふっと今日(4月27日)の朝日新聞の朝刊を見た。そこに「挫折の経験、ありますか」という問いがあって、なんと15パーセントの人が「いいえ」と答えていたのである。これには本当に驚いた。記事によれば、「挫折はぜいたくな悩み」という見方もあるそうだ。
そして28歳の岩手県の男性の話として「今の自分には本気で取り組めるものがないので、挫折すらできない。挫折という経験ができることはなかなか幸せなことなのだろう」とある。なるほど、望みを抱かなければ、挫折もないという訳だ。しかしそんなことが果たして可能だろうか。人間はどんな小さなことにも希望を見いだすものである。また、そうでなければ生きていけない動物である。
だいいち、挫折がない一生なんてつまらないと思うのだが、どうだろう。或いは、当人が挫折を意識していないか、認めたくないだけかも知れないが。
ここで僕は、シェイクスピア・カンパニー主宰、下館さんが或る席で引用した言葉を思い出す。
愛さないよりは 愛して失った方がいい
十九世紀の英国を代表する桂冠詩人、テニスンの詩の一節である。また僕が大学の卒業論文で書いた、フランスの実存主義作家・哲学者のJ.P.サルトルは、「恋愛においては、相手に賭けたものしか返ってこない」と言っている。
新一年生よ、元気出していけ。辛いこと、悲しいこともたくさんあるだろう。友人関係、受験、恋愛、就職、様々な関門が待ち受けている。なあに、失敗なんぞしたところでたいしたことはない。親と衝突することもきっとある。大切な人の死にも出会うだろう。しかし負けるな。みんな、そんな道を辿ってきたのだから。
僕はそんな言葉を贈って、人生を踏み出した新一年生に声援を送りたいと思う。