卒業・井伏鱒二 

更新日:2013年3月22日

作家 丸山修身

 

 各地の卒業式もほぼ終了したようである。義務教育が課せられている以上、これは誰もが幾度か経験することだ。僕も小学校、中学校、高校、大学、と四回経験している、と書きたいところだが、実は三回しか出席していない。高校(長野高校)の卒業式を、体調不良という適当な理由をでっち上げて欠席したのである。実につまらない、むしろ思い出したくないことの方が多い高校生活だったから、敢えて欠席したのだった。大学(慶応義塾大学)の時も、儀式張ったことは苦手だったので当然欠席するつもりであったが、親しい友人が是非一緒に出ようとしつこく誘うので、いやいやながら出席した。実に退屈な時間で、早く終了してくれるばかりを願い、欠席しなかったことを僕は後悔したものだ。

 

 印象に残る卒業式というと、やはり田舎の小中学校(長野県飯山市立富倉小学校・中学校)ということになる。なぜかというと、「別れ」が強烈に意識させられるからだ。小中学校の校舎が一緒になっている、豪雪地帯の小さな山奥の学校で、僻地校に指定されており 中学は二年後には統合されて廃校になることが既に決まっていた。
 僕たちの学年は戦後のベビーブームで(昭和二十二年生まれ)、最も生徒数が多かった学年である。したがって僕たちの時だけ、二十八人ずつ二クラスあった。しかし一つのクラスのように九年間一緒に過ごしたので、結びつきは特別に強かった。
 中学の卒業式は泣いた。「仰げば尊し 我が師の恩 教えの庭にも はや幾年(いくとせ)…… 今こそ別れめ いざさらば」と声を精一杯張って歌いながら、涙が溢れて止まらなかった。
 卒業して後は、隅田川近辺の東京下町や川崎、名古屋などに就職していく者が多かった。男子の場合は町工場の職工、女子の場合は紡績関係が多かったと記憶する。ちょうど経済の高度成長期で、中卒就職者は「金の卵」ともてはやされたものである。しかし「金の卵」は不況になると棄てられるのも早かった。
 今こそ別れめ いざさらば……。そう歌っていると、今日を限りに、もう生涯で二度と会えないという意識がふつふつと湧いてくるのであった。また実際にそうなった者も多かった。先生とも別れなければならない。仰いで尊いような先生ばかりではなく、取っ組み合いの大げんかをした教師もいたが、それでも一生の別れとなると、格別に胸がつまるのである。

 別れ、というと、僕の心に深く刻まれた詩がある。井伏鱒二の『勧酒』という有名な訳詩である。(原詩は中国唐代の詩人・于武陵の五言絶句)

 

  コノサカズキヲ受ケテクレ   (この杯を受けてくれ)
  ドウゾナミナミツガシテオクレ (どうぞなみなみ注がしておくれ)
  ハナニアラシノタトヘモアルゾ (花に嵐のたとえもあるぞ)
  「サヨナラ」ダケガ人生ダ   (「さよなら」だけが人生だ)

 

 「さよなら」だけが人生だ。― 何と哀切で、深遠な詩句だろう。知って以来、この言葉はずっと僕の胸から去らないのだ。

 

 この井伏鱒二に関する忘れがたい思い出を、これから一つ述べる。あれは僕が中学二年か三年の時であった。井伏鱒二が、ひょっこりと僕たちの中学を訪れたのである。姿を見た訳ではない。僕がその話を聞いたのは井伏鱒二がもう学校を去った後で、給食の時になって担任が、さっき井伏鱒二という作家が職員室に来て校長に挨拶してすぐ帰った、と語ったのだった。
 僕は驚いた。教師は誰も井伏鱒二という作家を知らなかったようである。しかし僕は短編『山椒魚(さんしょううお)』を既に読んでいて、太宰治の師匠だということも知っていた。東京の大学生だった兄が文学に関心をもち、その影響である。
何故突然、こんな山奥の中学校を訪ねたのか実に不可解だったが、訳を聞いてびっくりした。僕の四学年上の卒業生が、どういう経緯なのか全く知らないが、なんと東京・荻窪で井伏家の女中(じょちゅうーホームメイド)になっていたのである。目がぱっちりと大きい、色白の美しい女性であった。
 彼女のおやじさんは戦後の一時期、郷里の近辺で代用教員をやった人で、井伏鱒二が渋るのを無理に一緒に学校に連れてきたらしかった。また井伏鱒二は渓流釣りを趣味にしており、僻地の暮らしに関心があったようである。また田舎に別荘地を探す目的もあって、村までやって来たのも知れない。後に井伏鱒二は『黒い雨』という原爆を描いた不朽の名作を残したが、当時は地味な、知る人ぞ知る作家であった。
 『黒い雨』は 昭和四十年(1965)に発表された小説だが、平成元年(1989)になって今村昌平監督、田中好子主演で映画化され、話題をさらった。原爆は悲惨なものという観念に寄りかかることなく、幼い頃の広島での被爆が、ずっと後年になって、一人の平凡な女性の人生にいかに困難な影を投げかけたか。つまり被爆したことを明かすと、結婚話がまとまらなくなるのである。そんな庶民の日常生活の視点にたって長編を描ききったところに、作家井伏鱒二の卓越した力量、見事な達成があった。将来、福島でそのようなことが起こらないことを、僕は強く願っている。 

 

 時間が遡(さかのぼ)るが、井伏鱒二が職員室を去った後、せめて姿だけでも見たかったなあ、と僕は残念に思ったものだ。こんな山奥の村まで訪ねてくれたことがうれしかったのだ。
 最後にもう一度。―さよならだけが人生だ―。しみじみと胸にしみる良い言葉である。考えてみれば、長く生きるということは、多くの親しい人の死を見送ることに他ならない。だからこそ、懸命に生きる価値がある。僕はそう思う。