下館和巳のイギリス日記
Vol.15 2003.7.6
イタリアの庭
去年の七月父が他界した。その父が病に伏すようになってから、よく口ずさんでいた歌があった。 “Come to my garden in Italy…”かすれた低い声で、楽しそうに。父は学生時代英語クラブの部長を するほど英語が好きで、僕が中学生になったばかりの頃、父の運転する車に乗ると「木には鳥がとまっ てるね。だからトリー」と言う風に独自の連想ゲームで単語を教えてくれた。
先日、カンパニーの山路ケイトとデンマークに行った時に、ヘルシンゴー(英語名はエルシノア)の 港から見えるスエーデンまで船で渡った。意外に大きく美しい散歩をしながら、父と大阪の万国博に行 った事を思い出していた。あの時、スエーデン館で食事したからだ。メ二ューを持ってきてくれた金髪 で青い瞳の、そして抜けるように白い肌の女性が何と眩しかったことか!その人がおそらく僕が初めて
言葉をかわした(勿論“Thank you very much”くらいだが)外国人だった。父が流暢にその女性と話すの を見て、僕は一気に父を尊敬したのを覚えている。塩釜の自宅に戻って母に「お父さん英語がぺらぺらな んだよ」と興奮して報告した。
僕の外国と外国語への憧れは、だから父の影響である。
僕は「イタリアの庭」という名の歌が気になって気になって、いろんな人に聞いてみたが、誰も知ら ない。ひょっとして、あの歌は父の創作だったのかも・・と思い始めた頃に、カンパ二―の長保めいみや ロンドンの友人の協力で、ついに見つかった。が、もう父はいなかった。だから、ケンブリッジで初めて、 父が繰り返し繰り返し聞いていたに違いないこの1930年代の歌を耳にした時、父に再会したようで涙
が溢れた。
その父が夢に現れたのは、イタリアだった。写真家の妻の仕事の完成のために、僕は家族四人で初 夏のトスカ-ナにいた。トスカ-ナと言っても広いが、そこは『イングリッシュ・ペイシェント』という 映画の撮影現場にもなった。そして何より、そこはイタリアン・ルネッサンスの震源地だ。
石造りの農家の一室に眠っていた僕は、ある朝父の声で目覚めた。「おとうさん」と声をかけると光の閉 ざされた闇の中に、父が立っていた。その時『ハムレット』の冒頭のシーンがくっきりと浮かんだ。起き 上がって、僕は果てしない麦畑の中を夢中で走りながら、「これだ、これだ、これだ」と呟いていた。
夢だった。しかし、僕はイタリアで初めて僕達の新しい『ハムレット』が見えた、ことだけは確かである。