方言と民謡(No.10 Summer 1997)
主宰 下館和巳
5月に伊藤多喜雄さんに招かれて渋谷のジャン・ジャンに出演した。多喜雄さんと
いっても知らない人が多いかもしれない。実は私も、ある日突然、出演依頼のファッ
クスを頂戴して初めて、彼の存在を知った。多喜雄さんは、朝日新聞の「新・方言考
(3月5日掲載)」で私達の劇団のことを読んで、興味をもってくれたようである。
そんなわけで、本番の二時間程前に初顔合わせをして、弁当を食べると、もう一緒に
舞台に立っていた。面白かったのは、楽屋での弁当の時間だった。紅白にも登場した
ことがある民謡歌手と聞いていたから、ハデな着物姿の渋いおじさんを勝手に想像し
ていたから、印象は大部違った。パリッとした中年で、なかなか色気がある。私が、
ゴハンを頬張りながら、「どうして私達に興味を?と聞けば、「仙台で方言のシェイ
クスピアっていうのが妙だな、って思ったのよ。と通の答えが返ってきた。「青森と
か、秋田とかならピンとくるんだけどね。仙台の人、方言喋ってないよね。いつも、
「仙台弁でシェイクスピアをやるからちょっと面白そうだ。とばかり言われて、食傷
気味だった私は、しばし箸を置いて、彼のうんちくに耳を傾けた。方言のせりふは、
少し間違うと、臭くなる。というような話から、民謡の方言の話題に移ると、彼は益
々雄弁になった。「民謡のメロディは、方言の音そのものだから、歌詞まで訛っちゃ
うと、行き過ぎるんだよね、いやみになる、という言葉に、私はうなった。
多喜雄さんとの話は刺激になった。
その夜、私が嬉しかったのは、学生の頃、シェイクスピアの芝居を見に足しげく通っ
た、その小さな舞台に立って、シェイクスピアの話をさせていただいた、という単純
なことである。自分の仕事が終わると、私は昔のように客席に座って、多喜雄バンド
の観客になった。ドラム、バイオリン、津軽三味線という和洋混合の音楽に乗ったソ
ーラン節に、小さな劇場が熱くなった。彼のハスキーで力強い歌声は、私の心を遠く
の海に連れていってくれた。鷗が舞い、鰊船が浮かび、漁師たちが働く北海道の海へ
と。