下館和巳
第十一幕
「恐山のマクベス」

プロフィール

1955年、塩竃市生まれ。

国際基督教大学・大学院

卒業。英国留学を経て東

北学院大学教養学部教

授。比較演劇選考。シェ

イクスピア・カンパニー

主宰


 10月10日、恐山の大祭の日に私たちは「恐山発、エジンバラ行き」の「播部蘇
(マクベス)」丸を出帆させた。恐山は、高野山、比叡山に並ぶ日本三大霊山のひ
とつである。そこにある菩提寺の原点は862年に、お告げを受けた慈覚大師が建立
した地蔵堂である。  
 境内には136の地獄がそこここにある。 どうや地獄、血の池地獄、修羅王地獄
・・・。鼻をつく硫黄の煙が噴き出し、地面には荒廃とした岩肌が需出し、積み上
げられた石の上にいくつもの風車が回り、カラスの声がその異様さを際立たせる。
しかし、恐山には意外にも、美しい宇曽利の湖が作り出している極楽の風景もある。
その湖には思わず引き込まれてしまいそうなあの世の匂いが漂っている。誰もがふ
とここでなら死んでも成仏できるかもしれない、と思えるようなそんな不思議な雰
囲気をひっそりと湛えている。    
 恐山の名を日本中に知らしめたのはイタコだろう。彼女たちはその独特の語りの
リズムで死者の霊を呼び降ろす。「森が林がふるさどがぁ、極楽浄土の前を流れる
涙川、七瀬も八瀬も流るれど、親に会う瀬はひとつ瀬のここぞとばがり語るべが・
・・」。イタコの前に座った人たちはその語りに泣く。
 私は13歳の頃、父に連れられて初めて恐山を訪れ、イタコの語りを聞いた。人々
がすすり泣く声、号泣する声を今も強烈に覚えている。なぜ泣いているのか、まだ
幼い私にはわからなかった。だが、そのとき感じた疑問が、東北版「マクベス」
構想の出発点であった。
「マクベス」の原作を最もシェイクスピア的にしているのは、ほかならぬ、 運命
を語る3人の女たちである。東北の風土を考えたとき、その女たちに匹敵する存在
として、私が真っ先に思い浮かべたのは、恐山という特異な場とイタコという霊
媒師だった。
 マクベスは3人の女たちに出会って王殺しを発想する。 それならば、彼女たち
に会う前のマクベスに野心というやつが-切なかったのか? いや、マクベスの心
の中には既に野心があったのだ。女たちの声にマクベスは自分の聞きたかった内
なる声を聞いたに過ぎない・・・そう思えたとき、私の中で女たちとマクベスの
関係と、イタコと泣く人々のそれが重なった。
 恐山に出かけていく人たちは、泣きたいんだ。愛する父や母や子を失った悲し
みが、人々を泣くことに駆りたてるんだ。イタコの語りがどんなものであれ、
人々は泣く。自分の悲しみを掬いあげてくれる語りに泣くんだ。私の筆は一気に
進んだ。そして、この悲劇は絶対に恐山で上演されなければならないと思った。                 
                                    (つづく)

朝日ウィル 1999年11月9日号より